私はよく、人から、「将来大物になりそう」とか、「大器晩成タイプの人」と言われます。
もちろん社交辞令かもしれないのですが、言われて悪い気はしないです。
しかし、今のところ大物どころか、何物にもなっていません。
これまでの人生も、うまくいったという感覚はなく、今までずっとくすぶってきた感があります。
輪廻転生を信じて、今世は修行と割り切って人生を送ろうかとも考えたりしました。
でも、今が大して良くないのに、来世でいい人生が待っていると思えるわけがありません。
いつかうまくいく人生なんていらない
いつかうまくいくと思って、努力をしている人、耐え忍んでる人もいると思います。
そういう人は素直に、すごいなと思います。
でも、いつかって、いつなんですかね。
努力して、耐え忍べば、必ずうまくいくんですかね。
いつかわからないのに、うまくいくかさえわからないのに、努力や忍耐を続けるにも限度がありますよ。
「もう疲れたわ」という人も多いのではないでしょうか。
そもそも、今が苦しいし、今が大変なんですよね。
今に不満があるのに、それを、いつかうまくいくって慰めてもらっても意味がないんですよね。
だからといって、努力や忍耐が無意味とは思わないのですが、いつかうまくいくために、努力や忍耐などに縛られすぎるのもどうかなと思ったりもします。
現在進行形でうまくいっている人生を目指して
結局、人生の満足度や幸福度って、今の状態に比例すると思います。
今の状態が良ければ、過去を振り返っても、今までいい人生だったと思えます。例え過去に苦しいことがあったとしても、”あの時の苦しいことがあったから、今、幸福になれた”とポジティブな意味づけができて、人生に対する満足度、幸福度は上がるでしょう。
逆に、今の状態が悪ければ、過去に良いことがあったとしても、”あの頃はよかったのにどうしてこうなった”と絶望が大きくなり、過去の人生に対してもネガティブな意味づけをしてしまいがちで、人生に対する満足度、幸福度は低下してしまいます。
(「過去は現在により意味づけられる」をご参照ください)
生きる活力を得るためには、今、人生が上手くいっているという感覚が必要で、今、人生が上手くいっているという感覚を得るためには、今の状態を良くすることが必要なのだと思います。
そして、今の状態を良くするためには、今日一日が、まあまあ良い一日だったと思えるかどうかにかかっていると思います。
過去は現在により意味づけられますので、今が良い状態でないと、人生全体に満足感を得ることなんてできません。今というのは突き詰めて考えれば、その瞬間瞬間なのですが、良い瞬間を積み重ねることで、良い一日を、良い一週間を、良い一か月を、良い一年を、良い一生を得ることができるのだと思います。
だから、良い瞬間を積み重ねて、良い一日を毎日積み重ねていくことが、良い人生(うまくいっている人生)を得る方法なのだと思います。
いつかを夢見て、努力や忍耐もいいのですが、それで悪い一日になってしまうくらいなら、いつかにこだわらず、いつかのためには悪いことであったとしても、今日一日を良い一日にすることを優先してもいいのかもしれません。
コメント