老害が老害と言われる理由

老害が老害と言われる理由 社会

最近、老害という言葉を耳にすることが多いように思います。

 

老害が老害と言われる理由

ろうがい【老害】
企業や政治の指導者層の高齢化が進み、円滑な世代の交代が行われず、組織の若返りがはばまれる状態。

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

 

老害とは、組織などの意思決定権を高齢者がいつまでも握っていて、若年層の意思が反映されない状態のことだと言えると思います。

言い換えれば、高齢者の古い考え、古い価値観が幅を利かせていて、高齢者がいつまでも、それに固執し、若年層の考えや価値観が尊重、受容されない状態だと言えます。

高齢者が、正しいかどうかもわからない価値観を絶対だと思っていて、若年者の新しい価値観などを受け入れることをせず、進歩がないから害になる、それを老害だと言われているのです。

若い世代から見れば、高齢者の価値観は古いもの、時代にそぐわないもので、そんなものより、若い世代の新しい価値観こそが絶対だと思っているのですから、老害だというのもわからなくもありません。

そして、実権を握っている多くが高齢層であるが故、若い世代からすれば、自分たちの価値観が反映されない、自分たちの価値観を妨げるのが高齢層となり、老害と言われるのだと思います。

 

老害は価値観の対立でしかない

しかし、高齢者の世代から見ればどうでしょうか。

高齢者の世代から見れば、若い世代の価値観は、新しいものかもしれないが、新しいだけで、経験や根拠に基づかないものと感じているかもしれません。

また、自分たちの正しいと思っている、思い込んできた価値観と異なるのですから、容易に受け入れることなんてできるはずもありません。

高齢層から見れば、若い世代は自分の権利・主義ばかりを主張する若害と感じているかもしれません。

結局は、高齢層も、若年層もお互いの価値観を受け入れていないだけなのです。

権力を持っているのが高齢層に多く、若年層の価値観が反映されず、否定される場面が目立つので、老害などという言葉がよく用いられるようになっていますが、高齢層も若年層も、お互いに、お互いの価値観を否定し合っているだけで、やっていることは大差ないと思います。

老害なんて言葉で、いかにも高齢層が悪いといった印象を持ちがちですが、どちらが良い悪いというものでもなく、高齢層と若年層の価値観の対立が、老害という言葉で表されているに過ぎないのだと思います。

 

絶対に正しい価値観はない

高齢層と若年層、どちらの価値観が正しいかと言われれば、どちらも正しいし、どちらも間違っていると言えます。

世の中に、絶対的に正しい価値観なんてありませんので、見る人によって異なりますし、それこそ、価値観は人それぞれなのです。

皆の価値観が同じ必要があるでしょうか?

全くありません。

皆の価値観が同じであれば、人間としての違いがなくなります。

皆の価値観が同じであれば、人間に存在価値なんてありません。

価値観なんて違って良いし、違って当たり前なのです。

それを理解できないから、価値観の対立が起こるのです。

高齢層でも、若者と同じ、若者に近い価値観を持っている人だっています。

若年層でも、古典的、ステレオタイプと言われるような価値観を持っている人だっています。

価値観なんて皆違うのですから、それでいいのです。

でも、自分と異なる価値観を受け入れるのって、なかなか難しいものです。

だからこそ、それぞれの価値観を否定し対立するのではなく、尊重することが大切なのではないでしょうか。

 

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