一生懸命が報われるとは限りません。
しかし、一生懸命が報われないといけないと思います。
一生懸命が報われるとは限らない
一生懸命が報われるとはどういうことでしょうか。
それは、一生懸命やったことで、自分の望む結果を得たということだと思います。
しかし、一生懸命やったからといって、必ずしも自分の望む結果が得られるとは限りません。
自分の望む結果を得るためには、一生懸命やる事の他に、運やタイミングなど、様々な要因が影響します。
自分が一生懸命にやるだけでは、どうにもならないこともたくさんあるのです。
だから、必ずしも一生懸命が報われるとは限りません。
これは、誰もが、経験的にわかっている事かもしれません。
一生懸命が報われないといけない理由
一生懸命が必ずしも報われるとは限らないことは、”そんなの当たり前”といってしまえばそれまでですが、やっぱり一生懸命が報われないのは辛いものです。
一生懸命が報われないと人はどうなるでしょうか。
いっしょうけんめい【一生懸命】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ
〔「一所懸命」から出た語〕
① 命がけで物事をすること。全力をあげて何かをするさま。副詞的にも用いる。 「 -(に)努力する」 「 -がんばります」
② 引くに引けないせっぱつまった状況。せとぎわ。 「こりやもう九郎兵衛が-。舅どの勘忍さつしやれ/歌舞伎・夏祭」
『大辞林 第三版』(三省堂)より引用
一生懸命とは、上記のような意味ですが、全力をあげて何かをして、それが報われないのです。
そうすると人は、気力を失います。
気力を失うと、”一生懸命やっても無駄だ”と感じて、一生懸命やることをしなくなります。
そうして、ただ何となく生きる人生を送るようになって、つまらない人生を過ごすことになるのです。
一生懸命が報われないから、皆生きることに疲れてしまうのです。
やはり、一生懸命は報われるべきなのです。
一生懸命が報われるとは…一生懸命に気づくこと
先にも述べましたが、一生懸命が報われるとは、一生懸命やったことで、自分の望む結果を得ることです。
しかし、一生懸命やったからといって、必ずしも自分の望む結果を得られるとは限りません。
ただし、一生懸命が報われるのは、自分の望む結果を得られた時だけではありません。
もちろん、自分の望む結果を得て、一生懸命が報われるのが一番良いのでしょうが、それ以外にも一生懸命が報われる瞬間というのはあります。
それは、他者に、一生懸命に気づいてもらえ、一生懸命を認めてもらえた時です。
一生懸命やって、自分の望む結果を得られず、一生懸命やったということさえ誰にも気づいてもらえないというのは悲しすぎると思いませんか。
一生懸命やって、自分の望む結果を得られなかったとしても、一生懸命やったということに気づいてもらえ、一生懸命やったことを認め労われたら、多少なりとも救われ、一生懸命が報われたと言えるのではないでしょうか。
気づかないだけで、一生懸命やっているという人は、自分の周りにもけっこういるものです。
そんな人たちの一生懸命に気づけるような人になれるといいなと思ったりもします。
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