先日、とあるセミナーのようなものに関わる機会があった。
多少、専門的な内容のもので、参加者20名弱程度、年齢は20代から60代くらいで幅広い。
その際、ある50代くらいの中高年の参加者の行動で、タイトルのようなことを感じてしまったのだ。
周囲に気を遣えない中高年はみっともない
上記のセミナーでは、講師の周りに集まって、資料を見るということが何度かあったのだが、その際に、ある50代くらいの中高年の参加者(以下、A)の行動がみっともないと感じた。
あくまでも、個人的にそう感じたということなので、ただの戯言と受け取っていただければとは思う。
Aは、講師の周りに集まって資料を見る際に、人を押しのけても、自分が一番前に行き、割と体格のよい方だったのだが、後ろの人がよく見えないにも関わらず、例えばしゃがんだり、自分が見終わったら、他の人に前を譲るという行動が一切なかった。
講師に促されてようやく前を譲るといった感じで、周囲に対する配慮・気遣いが全く見られず、いい年をしてみっともないと感じたのだ。
確かに、自主的にセミナーに参加するということは、自主的に学びに来ているということなので、そのくらいの積極性や貪欲さがあってもいいのかもしれないし、その姿勢は評価されるものだろう。
しかし、自主的に学びに来ているのは周囲の人も同じだ。
そういった場で、周囲に僅かばかりの気遣いもできないというのはいかがなものかと思う。
これが若年者であれば、若いから仕方がないと思ってもらえるかもしれないが、中高年であると、”いい年をして”と同じ行動であっても、余計に目についてしまうのだ。
中高年は年齢相応の立ち居振る舞いを求められる
日本というのは、年功序列、年長者を敬うという文化が色濃く残る社会だ。
敬うべき年長者には、それ相応の立ち居振る舞いが求められる。
それ相応の立ち居振る舞いができない中高年というのは、年齢だけ上がった稚拙な人に見え、みっともないのだ。
敬うに値しない、それ相応の立ち居振る舞いができない中高年が目につくようになったからこそ、最近の中高年者はマナーが悪いなどという主張が見られるようになったのだろう。
日本は年齢に重きをおく社会であるからこそ、年齢によって求められる立ち居振る舞いがあるということを理解しておくほうが身のためだろう。
傲慢な中高年は嫌われる
年長者が敬われるという文化が色濃く残る社会ではあるが、年長者が偉いわけではない。
中高年が偉そうな態度をとっても、若者は何も言わないが、間違いなく嫌われていることだろう。
人格者と言われ、周囲から尊敬される中高年というのは、謙虚で偉ぶることなく、周囲に気遣いもできて、余裕があるものだ。
どうか、電車で我が物顔で、周囲の迷惑を顧みず、大股を広げて座席に座っているような人は、このことを心に留めておいてほしいものだと思う。
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