なぜか望まない状況になってしまう
”こいつと同じチームになるのだけは嫌だ”とか、”こいつと競合するのだけは嫌だ”というように、望まない状況というのは、多かれ少なかれ誰しもが持っていることと思う。
その望まない状況になる可能性が、かなり低い場合でも、なぜかその望まない状況になってしまうということは、思いの他多いのではないでしょうか。
あらゆる状況が想定しうる中で、なぜかピンポイントで最も望まない状況になってしまう理由というは、全くわからない。
もしかしたら、”それだけは嫌だ”と思うこと自体が、それだけは嫌だと思う状況になってしまうであろうことの、虫の知らせとか、予知なのかもしれません。
いずれにせよ、可能性は低いはずなのに、ピンポイントで望まない状況になるということは、往々にして起こり得ることなのだと思います。
なぜか陥ってしまう望まない状況は、試練なのかもしれない
可能性が低いはずの望まない状況に陥っていしまうメカニズムはわからないので、回避しようもありません。
自分の力でどうにかできるのであれば、”それだけは嫌だ”という状況は回避します。
自分の力ではどうしようもないからこそ、”それだけは嫌だ”という状況に陥ってしまうのです。
望まない状況になっても、それを受け入れるしかないのですが、”どうしてこうなるのだ。勘弁してほしい”と思うことでしょう。
”それだけは嫌だ”ということは、それ以外であれば、何でもいいのです。
”それだけは嫌だ”ということ以外であれば何でもいいと妥協しているのに、”それだけは嫌だ”という状況になってしまうのは、もう試練というほかに言いようがないのではないかと思います。
”それだけは嫌だ”と言う状況に陥って、”最悪だ”と嘆いてもどうにもなりません。
”それだけは嫌だ”という状況を試練として、それに立ち向かうしかありません。
しかし、立ち向かっても、その試練を乗り越えるのは容易ではありません。
乗り越えるのが困難、勝ち目がないと思うからこそ、”それだけは嫌だ”と思うのです。
”それだけは嫌だ”という状況に陥って、うまくいかなかったという経験を持つ人も多いことでしょう。
むしろ、”それだけは嫌だ”という状況から、上手くいった経験を持つ人のほうが少ないことと思います。
それでも、”それだけは嫌だ”という状況に立ち向かい、打ち勝つしか、成功する方法はないのだと思います。
生きるのは何とも辛いものだと感じます。
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