大企業に勤めていると聞くと、それだけで”すごいですね”と言ってしまうことはないでしょうか?
肩書だけで人の優劣が決まるわけではないのに変な話です。
大企業には多くの人が勤めている
大企業の定義は、一般的に資本金と従業員数による。
大企業ということは、それだけ、従業員数も多いということだ。
大手企業や有名企業になれば、それだけ、従業員数も多くなる。
大企業には、多くの人が勤めており、様々な人がいるということだ。
大企業の中には、従業員数が数万人規模の会社だってある。
例えば、従業員数が数万人規模の会社で、順位を付けるための何かしらの試験等を実施したとしよう。
当然だが、1位の人から、数万位の人ができる。
世間一般の価値観で、1位の人と、数万位の人を比べた際に、大半の人が1位の人は優れていると判断し、数万位の人は劣っていると評価するだろう。
それにも関わらず、同じ大企業に所属しているというだけで、1位の人と数万位の人を”すごいですね”と言ってしまうのだ。
日本人は人と比べるのが好きな割には、表面的な肩書だけで、”すごいですね”と一括りにして比べるのをやめてしまう。
大企業に勤める人が優れているとは限らない
大企業には多くの人が勤めていて、その分色々な人がいるのだから、皆がみんな優れているわけではない。
個人的には、大企業等、大きな組織になれば、優れているのは数割程度で、”並”の人が大半を占めるのではないかと思っている。
また、大企業に勤めているというと、人間性まで優れているように見られることがあるが、それはない。
多くの人がいるということは、それだけ、多様な人間性を持つ人が集まっているということだ。
私は、日本のほとんどの人が知っているような、従業員数数万人規模の企業の本社に勤める多くの人を見たり、接したりしたことが何度もあるが、人間性という点で見れば、素晴らしいと感じる人から、言葉は悪いが、個人的にクズだなと感じる人まで、本当に多様だ。
大企業に勤めているというだけで、優れた人間になれるわけではないのだ。
肩書に騙されても、肩書に勘違いしてもいけない
大企業に勤めているというだけで、多くを判断してはいけないと思う。
ただ大企業に勤めているという、それだけのことなのだ。
大企業に勤めているとか、肩書に騙されてはいけないと思う。
大企業に勤めていようといまいと、自分の目で見て感じたことが、自分にとっての真実なのだから、肩書に騙されず、自分の目で見て判断すればいいのだと思う。
また、大企業に勤めているとか、役職に就いているからといって、自分が優れた人間だなどと勘違いしてもいけないと思う。
大企業に勤めているとか、役職についているというだけのことであって、別にその人の全てが優れているわけではない。
大企業に勤めているからといって、”すごいね”などと言われて勘違いして、傲慢な態度をとることほどみっともないことはないと思う。
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