くすぶり人の戯言

人生は出会いが全て

人生は出会いが全て

人生は出会いが全てです。
社会に出て、成功とはいかないまでも、それなりにやっていけるかどうかは、出会いにかかっています。
特に、人間関係が苦手な人ほど、出会いの持つ意味は大きいのです。

人間関係が苦手な人は、社会ではやっていけない

人間関係が苦手な人、いわゆるコミュ障などと言われる人が、社会に出てそれなりにやっていくというのは容易なことではありません。
引きこもりと呼ばれるような人は、職業能力云々よりは、コミュ障により人間関係がうまく築けないことによって社会から排除され、引きこもっているのではないでしょうか。

 

人間関係が苦手な人は、社会から排除される
人間関係が苦手な人は、基本的には職場等を主とする、社会からは排除される傾向にあります。それは、「人間関係がうまくいかない人は、自分を出せない人が多い」でも書きましたが、人はよくわからない未知なものに対しては、恐怖心や警戒心を抱くからです。

普通、恐怖心を抱かせるものを、いつまでも傍に置いておきたいという人はいません。
そのため、人間関係が苦手な人は、社会から排除されるのです。

 

人間関係が苦手な人が、真っ当な評価を受けることは稀
以前「世の中に公平な客観的評価などない」ということについても書きましたが、例えば会社などでの評価は、評価する側の主観に基づいてなされます。

そして、評価には、評価する側と、評価される側の関係性が影響します。
人間関係が苦手な人は、人間関係が得意な人と比べると、評価する側の人間と良い関係性を築けないので、真っ当な評価を受けることは稀で、低い評価をされがちです。

人間関係が苦手な人は、人間関係が得意な人より仕事を頑張ったとしても、なされる評価はせいぜい、人間関係が得意な人と同等程度の評価です。

このように関係性に影響を受ける評価をなされますので、人間関係が苦手な人は頑張りに見合うだけの評価を得られないことが多く、自尊心が低下したり、他責的な傾向を強め、ますます人間関係が苦手になます。
当然、正当な評価を受けられないと不満を持ち、社会や人に対して不信感を強めますので、生きるのが辛くなり、最悪の場合、社会からフェードアウトしていくこととなります。

 

人間関係が苦手な人ほど、出会いが重要

上記のような理由から、人間関係が苦手な人は、社会でそれなりにやっていくことが容易ではありません。
逆に、人間関係が得意な人は、他が少々劣っていても、社会でそれなりにやっていくことは、それほど困難ではありません。
それほど、社会の中では、人間関係というものの占める割合が大きいのです。
人生は、人間関係が全てと言っても過言ではないのです。

では、何故、出会いが全てと言ったのか?
それは、コミュ障で人間関係が苦手でも、それを受け入れてくれたり、それをフォローしてくれたり、表面的な互いの関係性の良し悪し影響をあまり受けずに評価できる人という稀有な方も存在しているからです。

人間関係が苦手な人は、こういう人と出会えるか否かで、人生が大きく変わってきます。
こういう人は、いわゆるできた人なので、変な期待をしなくても、あなたが頑張っていれば、あなたを引き上げてくれます。
そして、周囲の人間にも影響を与えてくれますので、あなたを取り巻く人間関係が良い方向に変わります。
そうなれば、それまでは、どこか居心地が悪いと感じていた場所が、あなたの居場所になりますし、人間関係に苦痛を感じることも少なくなり、あなたの評価も好転するでしょう。

こういう人と出会えれば、あなたは社会で、それなりにやっていくことができるようになりますが、出会えなければ、一生苦しい人生が続くでしょう。

 

結局、他人任せ?

上記のようなことを書くと、自己責任論などが好きな人からは、他人任せと非難されることでしょう。

しかし、人が頑張ってどうにかできることは高が知れています。
もちろん、頑張る必要がないということではないのですが、自分の頑張りだけでどうにかできることなんて、ほんの一握りです。

人間関係が苦手な人は、こうすれば上手くいくと教えられて、簡単にそうできるものではありません。
長年の体験があって、人間関係が苦手になり、思考等も含め、人間関係を上手く築けないパターンを身に付けてしまっているので、それをすぐに変えるということは、したくてもできないのです。できるなら、みんなやっていますし、人間関係が苦手な人なんて、この世にはいないはずです。

人に変な期待を持つのは禁物ですが、他人任せと言われようと、助けてくれる人と出会えたのなら、助けてもらえばいいと思います。

そして、助けてもらえたのなら、それに感謝し、それに甘えず、大恩を返すつもりで頑張ればいいのです。

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