口は災いの元ということわざがある。
他にも同様の意味を持つものや、沈黙を奨励するようなことわざや、名言もある。
しかし、今の世の中、黙っていては損をすることも多い。
結局は言ったもん勝ちということが多いのではないだろうか。
言葉は発さなければ力を持たない
言葉は発することではじめて具現化し力を持つ。
発すれば多少に関わらず、必ず力を持つ。
言葉は、そもそも他者とコミュニケーションをとるためのツールである。
自分の中で思っているだけで、言葉として発しなければ何も起きないし、相手に何かが伝わることはない。それは、相手にとっては何も存在しないことと同義だ。
存在しないものに価値を与えることなどできない。だから自分が価値あるものでありたいのなら言葉を発しなければならない。
つまりは、自己主張でも何でもいいので、自分の考え等を言葉にして発することで、あなたの存在なり価値なりを認めてもらうことができるようになるのだ。
そして、発した言葉は多かれ少なかれ力を持つ。
言葉を発することで、それを受け取った相手が何かを感じるということだ。
例えば職場の会議でも、学校の学級会でも何でもいいのだが、何か議論し決定する場において、何も発言しなければ、居ても居なくても関係ないどうでもいい人だ。その人に価値を見出すことはできない。
ある人がAという提案をしたとしよう。他の提案がなければ、Aの提案が採用されるであろう。Aの提案をしたものが評価されることがあっても、何も発言しない者が評価されることはない。Aの提案をしたものは、自分の提案が採用され、良い評価をされる可能性だってあるのだから、Aの提案をしたものの一人勝ちだ。
また別の人が反対意見Bを提案したとしよう。例えBが採用されなかったとしても、Bという提案があったことで議論が深まるわけだから、Bという提案に価値がないとは言えない。
また、議論を深めたという意味ではBの提案は発したことで力を持ったと言えるのだ。
だから、どんどん自分の言葉を発してやればいいのだ。
発せられた言葉は一つの事実として存在する
例えば、人の悪口などを言っている人は嫌われるから、あまり言わないほうが良いなどと言われることがある。
これも一つの事実だが、そこにある関係性によっては、必ずしもその限りではない。
ある人が、事実無根である「Cは陰険な奴だ」と悪口を言っていたとしよう。
Cと良好な関係の人からすれば、”あの人また悪口言っているよ”と軽蔑するぐらいのことであろう。
しかし、Cと関係が悪い人にすれば、例え事実無根の悪口であっても、”そうなんだ。最低だね”となり、Cとの関係をさらに悪化させる材料になりうる。
また、Cとあまり関係がない人からすれば、”そういう人なんだ”と偏見を持たせることだってありうる。
発せられた悪口は真偽はともかくとしても、一つの事実として確かに存在し影響を与える可能性があるのだ。
悪口を言ったものからすれば、Cの敵を増やす種を蒔いたわけだから、芽が出ればもうけものだ。
上記の例はおいておいても、なんだかんだ言って悪口を言ったり、ごちゃごちゃとうるさい人が良くも悪くも影響力を持っていたり、変な権力を持っているということは少なくない。
自分の考え等をあまり言葉にしないお国柄の日本では、言葉を発するだけで力を持つことだってあるのだ。
言ったも勝ちなのだから、あなたもどんどん言ってしまえばいい
結局、好き勝手なことを言っている人が力を持ち得をしている。
だから、黙って損をするくないなら、好き勝手言って得を狙ってもいいのではないだろうか。
時には失敗することもあるだろうがお構いなしだ。放っておけばいい。
好き勝手を言って得を狙うのなら、そのくらいのメンタルは必要だ。
それが嫌なら黙って、損をし続ければいいだけのことだ。
あなたの悪口を言ってる人がいたら「人の悪口ばかり言ってクズですね」と、本人に言うなり、陰で悪口を言えばいいのだ。
別に悪口をおすすめするわけではない。
悪口は言うのも言われるのも大嫌いだ。
悪口を言うような人間が勝つようなことはおかしいのだから、泣き寝入りしないための一つの方法として提案しているだけだ。
言ったもん勝ちであることに不平不満を言う前に、言ったもん勝ちとわかっているのだから、自分も言って勝てばいい、それだけのことだ。