電車内や公共の場で騒いでいる小さな子を叱る親を、多くの人が見たことがあると思います。
これも教育と言えばそうなのでしょうが、誰のために叱っているのかと疑問に感じることもあります。
子どもの教育は誰のためか?
子どもの教育は誰のためのものか?と問われれば、「子どものため」と答える人が大半を占めるでしょう。
もちろん、子どもの教育は、子どものためにあるべきなのでしょうが、実際にはそうではありません。
子どもの教育は、子ども以外の人のためにも行われています。
●子どものための教育
これは、純粋に、子どもの健やかな成長と、幸福を願って行われる教育です。
しかし、子どもの幸福を願い、教育を与えるのは親であり、大人たちです。
その教育は、親であり、大人たちの価値観に依存します。
つまり、親や大人の価値観に基づく幸福になるための教育なのです。
ただし、それが本当の子どもの幸福とは限りません。
純粋に子どもの幸福を願ってのことであっても、親や大人の願う幸福になるための教育であることに変わりはありませんので、子どものためでもあり、親や大人のためでもあると言えます。
●親のための教育
これは、親が恥をかかないための教育です。
例えば、電車内で子どもが騒いでいたら、周囲の人間は色々と思うことでしょう。
”しつけのできていない子”だなんて思われたら、恥だと思う親もいることでしょう。
このように親が恥をかかないために子どもに与える教育が、親のための教育です。
●社会のための教育
日本の社会では、いわゆる空気を読むということをして、周囲と調和していかなければ、生きづらい世の中です。
そして、周囲と調和できない人間は、社会不適合者として、多くの理不尽を被ります。
子どもがそうならないために、親や大人が与える教育は、子どものための教育とも言えますが、社会からはみ出た人間は、社会から排除されるのですから、社会にはいらない人間なのです。
社会からはみ出た人間を作らないための、社会のための教育だとも言えます。
上記の他にも、沢山あることと思います。
一つ言えることは、純粋に子どものための教育だと思っていても、それは、必ずしも子どものための教育にはなっていない場合もあるということです。
だから、人生を楽しめない子どもがいて、そんな子どもが大人になって、つまらない人生を送っているのかもしれません。
子どもを叱る際に、”あなたのためを思って…”などと言っている親や大人がいます。
それって、本当なのでしょうか?
子どもに限らず、大人でも、こんなことを言われた経験がある人も少なくないと思いますが、今一度、それが誰のためなのかということを考えたほうが良いのかもしれません。