小さな子どもの頃は、ちょっとしたことでも褒められたかもしれません。
大人になるにつれ、褒められるということがなくなってくるように思います。
褒めない社会
日本の社会というのは、基本的に褒めない社会ではないかと思う。
学校教育では、最近では個性を伸ばすなどと表面的には謳っているが、平均、一般、標準であることが重視され、出来ない事を強調、修正され、平均、一般、標準から逸脱した言動は、否定、排除の標的にされる。
まあ、これは学校教育に限ったことではない。
そういった学校教育の中で育って大人になっているのだから、大人の社会でも同じことだ。
右を見ても左を見ても、他人の粗探しばかりに躍起になって、否定、排除の機会を窺う大人ばかりなのだ。
こういった環境の中では、褒められることも褒めることも極端に少ない。
褒めるという行為自体が、平均、一般、標準から逸脱した言動になっているのだから、当然と言えば当然なのだと思う。
誰だって褒めてほしい
粗探しばかりされて、否定、排除されるくらいなら、誰だって褒めてほしいのではないかと思う。
少なくとも私は、たまには褒めてほしいと思っている。
出来ないことを強調され、否定ばかりされては、誰だって心は消耗するし、自分に自信を失って、否定されない事に心血を注いで生きているから、窮屈で生きづらいとか、自分らしく生きられないなどと感じている人が多いのかもしれないと思う。
褒められるのが、目に見えて良い結果が出たときだけというのは、なんだか苦しい気もする。
たぶん、皆それなりに頑張って生きているのだと思う。
頑張って生きていても、良い結果が出ない事だって多々ある。
良い結果が出なければ、否定され排除されるというのは、誰だって苦しいのではないだろうか。
頑張っても、良い結果が得られなければ、何の報酬もないのだから、頑張るのに疲れる人がいてもおかしくない。
せめて、頑張ったことを褒めてもらえれば、もうひと頑張りしようという気になれるかもしれない。
褒めまくろう
他人を褒められる人は素晴らしいと思う。
褒めるという行為は、他者に活力を与える行為だと思う。
中には褒めるとすぐに調子にのってしまう人もいるかもしれない。
褒めると調子にのるから褒めないなんてことを言う人もいるが、調子にのれるということは、褒められたことで活力が湧いたということだ。
決して悪い事ではない。
だからこそ、もっと積極的に褒めるということをするほうが良いのではないかと思う。
日本人は、褒めるということを知らないのだから、褒めまくるというくらいの気持ちでいて、ちょうどいいのかもしれない。
他人の粗探しをして、否定、排除ばかりするぐらいなら、褒めまくれる人を目指したいものである。