他者を見下す人がいます。
この他者を見下す人には弱い人が多いです。
弱い人とは
弱い人がどういう人かを定義するのは、大変困難です。
それは、社会的な価値観のみならず、各個人の価値観によっても定義されるものであり、各個人の価値観は、当然、各個人により異なるのですから、弱い人を定義することはできません。
各個人が”あっ、こいつ弱い人だな”と思った人が、その人にとっての弱い人というだけのことなのです。
弱い人の明確な定義はありませんが、弱いなと思う人に他者を見下す人が多いと感じることはないでしょうか。
同じような感覚を持つ人も、少なくないのではと思いますが、これは、弱いからこそ他者を見下す必要があるからです。
ですので、他者を見下す人を弱い人と見ても、大きく間違うということはないと思います。
弱い人が他者を見下す理由
一言で言えば、劣等感の補償です。
弱い人は、劣等感を持っていますが、自分が弱い人と認めてしまっては、その劣等感をますます強めてしまいます。
人は誰もが、自分は価値がある人間だと思いたいものですし、弱い人は、今まで認めてもらえなかった人達ですので、その欲求が人一倍強いのです。
だから、自分が価値がある、優れている、強いと、他者に認めさせるため、そして、自分を欺くために他者を見下すのです。
例えば、自分よりかなり年上の人でも、話していて、”しょぼいな。稚拙だな。弱い人だな。”と感じる人に出会ったことがある人は多いと思います。
そして、こういう人に限って、年下である人たちに尊大に振舞ったり、「若いから…」などといって見識があるかのような態度を取ったり、嘘か本当かわからない、昔の武勇伝を語り、年下である人を見下そうとします。
この人は、弱い人であるからこそ、年上であるという、唯一覆ることのないものを理由に他者を見下し、劣等感を補償しようとしているのです。
弱い人ほど他者を見下すのをやめよう
強い人は、弱い人に見下されても、基本的に反応しません。
適当に受け流しています。
それは、強い人は、自分が強いという自信を持っていますし、弱い人と真っ向勝負をしたとしても、勝てるという確信と余裕があるからです。
弱い人が、弱い人を見下すと、お互いにマウントを取り合う、見下し合いが始まり、目も当てられない状況になります。
強い人から見れば、どんぐりの背比べ、カスとクズの争いぐらいにしか映りません。
弱い人が、強い人になる第一歩は、自分が弱いと認めることです。
他者を見下し、自分を欺いていてはいつまでたっても強くはなれません。
だからこそ、弱い人は他者を見下すということをやめる必要があるのです。