いじめで自殺したというような報道も頻繁に見るが、その際、学校長なり教育委員会のお偉いさんが記者会見をするのを見ていて、いじめがあったのかどうかや、今後の具体的な対策・対応等が曖昧でよくわからないことが多い。
公的機関等を利用した時にしばしば感じる、何か説明を聞いたり質問をしても、曖昧な回答ばかりで結局よくわからないことがあるが、それと同じ感覚を持つ。
この、曖昧・うやむやにする対応こそが、責任逃れに重きをおく、公立学校を含めたお役所仕事の最たる特徴なのかもしれない。
下手なことを言うと叩かれる
最近では、モンスターペアレンツなどと言われる人が存在するように、真っ当でない大人も多い。下手なことを言えば難癖をつけられ、騒ぎ立てられることも多いのだろう。
そして、あることないこと問わずSNSで拡散され大事になってしまう。
生徒の自殺といった大事件にあっては、それこそ下手なことを言っては、マスコミに叩かれ、煽られた世間にも叩かれる。
だから、いかようにも解釈できるような曖昧なことを言って、後で難癖をつけられたときに言い訳ができるようにしているのだろう。責任逃れとしか言いようがない。
公立学校に十分な対応マニュアルもないのだろうから、矢面に立たされる人はある意味では可哀想なのかもしれないが、”それがあなたの仕事なのだから仕方がない”としか言えないし、”自分の仕事には責任を持とうね”としか言いようがない。
教育現場にいる人が責任逃れを一番に考えてはダメ
教育現場にいる人が、自己保身や責任逃ればかり考えているのはいかがなものでしょうか。
子供が問題を起こした際に、曖昧なことばかり言っていたら、正直にはっきりと答えなさいと言うでしょう。
子供が問題を起こして、言い訳ばかりしていたら、素直に謝りなさいと言うでしょう。
そういう指導をしている教育現場の人たちが、責任逃れのために、曖昧なことを言って、言い訳ばかりしていてはなんの説得力もないですよね。
確かに、いじめによる自殺というケースで考えれば難しいことも多いとは思います。
いじめに気付かなかった、ということはあり得ないと思ういますが、いじめがあったという確かな証拠がなければ、いじめがあったと公の場で言うことは、その後の影響を考えればできないのでしょう。
ただ、教育者なんだから、いじめがあったかどうか徹底的に調査して、必要に応じて加害者側にも徹底的に指導し、今後の防止策を策定しないと誰のためにもなりませんよ。
その場はうやむやになって責任逃れができたとしても、同じ問題がいつ起こるともわからないですからね。一回うやむやにしてごまかしてしまうと、次に同じ問題が起こった時にビビッて前回以上に何もできなくなりますよ。
教育者としての仕事を徹底的に全うするぐらいの覚悟と責任感がないと、今のご時世、教師なんてやってられないし、やっていけないんじゃないでしょうか。