生きるということは命を消費するということ
人は生まれたときから、死に向かって生きています。
普段、生活をしている時は、死を意識するということはそれほど多くはありませんので、頭ではそうでないことをわかっていても、人の命は無限にも感じられます。
しかし、人の命は有限です。
将来的には不老不死ということが実現されるかもしれませんが、現状、人は必ず死にます。
その時は、明日かもしれませんし、50年後かもしれません。
しかし、いつ来るかはわかりませんが、その時は必ずやってきます。
事故、病気、老衰等々、理由はどうあれ必ずやってくるのです。
人の命は有限で、生まれた時から死に向かい、必ず死の時はやってくるのですから、人は、生きているだけで、命を消費していると言えます。
別に何もせず、ボーっとしているだけでも、命を消費しているのです。
人は命を消費しながら働いている
人は生きているだけで、命を消費しているのですから、働いている時間も命を消費しています。
言い換えれば、生きるために、自分の命を消費しながら働いているのです。
別に健康を害するような危険な仕事や、過酷な仕事でなくても、同じです。
どんな仕事であっても、命を消費しながら働いているのです。
人は、人生の多くの時間を働くということに費やします。
働くということに、多くの命を消費しているのです。
そして、人の命の価値は、働くという視点から見れば、お金に換算できます。
時給1,000円で働いているのであれば、その人の命の価値は、雇用している企業から見ると、1時間1,000円の価値です。
これを高いと感じるか、安いと感じるかは、人それぞれでしょう。
今はそれでいいという人もいるかもしれません。
しかし、その1時間が、まさに死を迎える直前の1時間だった場合はいかがでしょうか。
その1時間で、大切な人と最期のお別れができるかもしれない1時間を、1,000円で企業に差し出すことができるでしょうか?
命を消費するに相応しい仕事に就きたいものです
人は、命を消費しながら働いているのですから、多くの人が、命を消費するに相応しい仕事に就きたいと願っていることでしょう。
命を消費するに相応しい仕事とは、高尚な仕事や、給料の高い仕事とは限りません。
給料は低くても、やりがいを感じられる仕事であり、自分が命を消費するに相応しい仕事だと思えば、それが、命を消費するに相応しい仕事なのです。
全ては己の価値観で決定すればいいことです。
そうはいっても、命を消費するに相応しいと感じる仕事に就いている人なんて、そう多くはないでしょう。
人並みの生活をするために、くだらないと思う仕事に、いやいや就いている人だって多いと思います。
別にそれが悪い事だなんて思いません。
理想の仕事に就くことなんて、簡単にはできないことでしょうし、生きるためには、くだらない仕事に就かざるをえないことだってあります。
しかし、命を消費しながら働いているということは、忘れてほしくないなとは思います。
そんなことを考え出したら、やっていられないとか、鬱になってしまうという意見ももっともだとは思いますが、命を消費しながら働いているということを忘れ、くだらないと思う人生を送ってしまうと、最期に”まあまあよかった”と言える人生にはなりません。
どうせ生きるのですから、最期に”悪くなかった”とか”まあまあ”ぐらいには思える人生を送りたいものです。