人って知らず知らずのうちに、他人に期待してしまっていることがあります。
でも、期待に応えてくれるとは限りません。
勝手に期待して、期待に応えてくれないと腹を立てても仕方がないですよね。
他人への期待=自分の願望
他人への期待は、自分の願望です。
例えば仕事で、成長を期待して、優秀な若手に少し難しい仕事を依頼した場合、それは優秀な若手に成長してほしいというあなたの願望です。
病気で寝込んでいる時に、恋人がお見舞いに来ることを期待する場合、恋人なんだからお見舞いに来るのは当たり前、お見舞いに来てほしいというあなたの願望なのです。
つまるところ、期待という都合の良い言葉で、自分の願望を勝手に押し付けているにすぎないのです。
期待という言葉は自分の願望を叶えさせるには都合が良い言葉です。
例えば、本当は優秀な若手が成長してくれれば、自分の仕事が楽になると思って、少し難しい仕事を依頼する場合でも、期待という言葉を使えば、優秀な若手からすれば、”期待されている。がんばろう。”という気持ちになりますよね。
期待という名の自分の願望を、角が立たない形で押し付けるにはもってこいの言葉が期待という言葉なのです。
しかし、期待という名の自分の願望なのですから、相手がそれに応えてくれるとは限りません。
期待を裏切られると腹が立つ
期待を裏切られると腹が立ったりがっかりしたりします。
他人への期待=自分の願望なのですから、期待を裏切る=自分の願望が叶わないことになりますので、腹が立ったりがっかりするのも当然です。
しかし、ここで、期待を裏切られたと相手のせいにしてはいけません。
自分の願望がかなわないことを、他人のせいにするのはお門違いです。
自分の願望を勝手に押し付けているだけなのですから、相手からしたら期待を裏切られたといわれても、”知らんがな”といった感じにしかなりませんし、責任を取ってくれるわけでもありません。
他人に期待するのはやめて、自分の願望ぐらい自分で叶えよう
自分の願望を押し付けているにすぎないのですから、人が期待に応えてくれないのは当然のことと考えましょう。
期待が大きくなればなるほど、人はその期待には応えてくれません
期待が大きい=自分では叶えるのが難しい願望となるので、他人にとってもその願望を叶えるのは容易ではなくなってきます。
どうでもいいことは他人に期待してもいいと思いますが、自分にとって肝心なことほど他人に期待するのはやめて、自分を信じて、自分の願望ぐらい自分で叶えてやるという気持ちでいるほうがいいのではないでしょうか。