くすぶり人の戯言

心穏やかに過ごしたいだけ

心穏やかに過ごしたいだけ

正月三が日最終日ですが、休みの間、心穏やかに過ごせた人も、明日からの日常を思って、心がざわついている人もいることでしょう。

毎日、心穏やかに過ごせれば、それだけで多くは望まないのに、そんな些細な望みすら叶わないのが人生です。

 

心穏やかに過ごせない理由

くだらない仕事に、煩わしい人間関係、苦しい生活に、いつ終わるともわからない漫然とした日常。
人生を悲観して、心穏やかに過ごせない人も多いのではないでしょうか。

そんな人生では、心穏やかに過ごせれば、他には何も望まないという人もいることでしょう。

それくらい心穏やかに過ごすことが難しいように思います。

心穏やかに過ごせない理由は、どこにあるのでしょうか。

それは、世の中や社会、他人の所為かもしれません。

それが正しいのかもわからない価値観を押し付けられ、そこから外れると非難され、否定されるという恐怖心を煽り、勝ち組、負け組などと言って、何とか負け組にはならないよう、負けないようにしなければならないというプレッシャーを与えてくる、世の中であり社会であり、それに毒された他人達です。

また、自分の所為かもしれません。

それは、その土俵で生きることを決めたのは、自分だからです。
社会に適応するということを考えれば、その土俵で生きることを強制されていると言えるのかもしれませんが、他の選択肢が全くないわけではありません。
多くの人にとっては、極端な話かもしれませんが、そういう世の中が嫌で、日本を出て海外で生活している人だっています。
海外に出ないまでも、心の持ちようとか、自分で心穏やかに過ごせる環境を整えるということは、もしかしたらできるかもしれません。

 

心穏やかに過ごすには…

心穏やかに過ごせないのが、世の中や社会、他人の所為なのであれば、それらを自分が心穏やかに過ごせるように変えるしかありません。

しかし、世の中や社会や他人を、自分の都合の良いように変えるということは、容易ではありません。
ほぼ、不可能でしょう。
自然に世の中や社会や他人が、変わるのを願って、運を天に任せて待ち続けるしかありません。

心穏やかに過ごせないのが、自分の所為なのであれば、心穏やかに過ごせるように、自分を変えるしかありません。
社会に適応しつつも、その価値観に毒されないよう心の持ちようを変えるとか、くだらない仕事を辞めて、好きな仕事に就くとか、煩わしい人間関係を捨てるとか、情熱を持てるものを見つけて、漫然とした日常から脱却するとか、心をざわつかせるものを排除するように環境なり、自分の心持ちなりを変えていくしかありません。
そうして、散々心をざわつかせて、苦労した先に、心穏やかに過ごせる日々が待っているのかもしれません。

どちらにせよ、心穏やかに過ごすというのはなかなか難しそうですね。

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