正直者が馬鹿を見るのか
正直者が馬鹿を見る
悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用
正直者が馬鹿を見るとは上記のような意味だが、誠実にまっとうに生きている人間が、そうでない人間、要領ばかりが良い人よりも損をするというような意味合いで用いられることもあると思います。
これが事実かどうかと問われれば、事実でもあり、そうでもないとも言えるかもしれません。
損得ということで考えれば、世の中、必ずしも、正直に生きている人が得をしているとは限りません。
正直でない人でも、うまくやって得をしている人もいれば、正直でもうまくやれずに損ばかりをしている人もいるでしょう。
結局、損得には正直であるかどうかは重要ではありません。
上手くやれるかどうかが重要なのです。
正直者で上手く立ち回れる人は、正直者でも得をしているでしょうし、正直でなく、上手く立ち回る事もできない人は、損ばかりしていることでしょう。
正直者が馬鹿を見るという言葉は、日本での美徳や価値観によるところが大きく、正直で良い人であるにも関わらず、損をしているという理不尽、不正直で悪い人にも関わらず、得をしている不条理を嘆いた言葉なのでしょう。
正直でなくても、うまく立ち回って得をしている人からすれば、正直者は馬鹿に見えるのでしょうし、正直者からしたら、自分は正直に誠実に生きているのにどうして報われないのだと嘆いているのです。
どちらが正しいとか、間違っているということではなく、両者の感情の話なのだと思います。
しかし、正直に生きている一人としては、やはり、正直に生きているのに報われないのはおかしいという感情も、立ち回るのが上手いだけの奴が得をするのはおかしいという感情もあります。
感情レベルで見れば、正直者が馬鹿を見るのだと思います。
何故、正直者が馬鹿を見るのか
それは、評価者の問題だと言えます。
損得というのは、基本的には他者から与えられるものです。
例えば、仕事で正直に誠実に仕事に取り組んでいる人と、仕事には不誠実だが、立ち回りが上手い人がいたとしましょう。
仕事においては、正直に誠実に取り組んでいても、立ち回りが下手だと、良い結果が出せないことも、結果に見合った評価が得られないことも往々にしてあります。
一方で、仕事への姿勢がどうであれ、立ち回りが上手い人は、結果以上の評価を得ることもまた、往々にしてあるのです。
それは、評価者も人間であり、評価に感情が伴うからだと言えます。
簡単に言えば、多くの人が、仕事に限定された人間関係の中では、上手く立ち回る人のほうが付き合いやすいので、好感を持ちやすいのです。
それが評価に少なからず影響するのです。
だからこそ、損得には正直であるかどうかは関係なく、上手くやれるかどうかが重要なのだと言えますし、正直者が馬鹿を見るとも言えるのだと思います。
正直者が馬鹿を見る世の中は嫌だ
正直者が馬鹿を見る世の中は、おかしいとも嫌だとも思います。
正直であることが美徳とされる日本社会において、そんなことが横行しているのはおかしいとも思います。
上では正直者が馬鹿を見るのは、評価者の問題だと述べましたが、あなた自身もそんな評価者であるということを忘れてはいけません。
結局は、あなたも正直者に馬鹿を見させている評価者の一人なのです。
人は他者を評価する時、正直であるかどうかなんて見ていないし、わかっていません。
上手く立ち回ってくれて、自分にとって都合が良いかどうかが、評価の大半を占めるのです。
正直者のあなたが馬鹿を見ていると思っていても、あなたも正直者の他者に馬鹿を見させているのです。
正直者が馬鹿を見る世の中がおかしいと思うのであれば、あなたも他者を評価する際に、自分の損得勘定を捨て、正直であるかどうかを最重視しなければならないのです。