同じ言動、似たような言動をしていても、好かれる人と嫌われる人がいます。
この違いは、その言動が誰のためにされたのかによります。
それが誰のためにされたのかで評価が分かれる
例えば、同じおしゃべりな人でも、好かれる人と嫌われる人がいます。
この違いは、個人のキャラクターの違いという部分もあるのでしょうが、そのおしゃべりが誰のためにされているのかということにもよります。
同じおしゃべりでも、自分が好きな、自分がしたい話を延々と続ける人がいた場合、あなたはどう感じるでしょうか。
別にあなたが聞きたくもない話を延々と続けられるのですから、うざい、面倒くさいと感じ、その人のおしゃべりを避けるようになるのではないでしょうか。
一方で、人を楽しませるため、場の雰囲気を和ませるためにおしゃべりをする人に対してはどう感じるでしょうか。
その人と話していると楽しいと感じるでしょうし、仮に楽しいと感じなくても、周囲のためにおしゃべりをしているのですから好感を持つことでしょう。
もちろん、受け取る側しだいでは、人のために話していても、自分の好きな話ばかりをする人と受け取られる場合もないわけではありませんが、人のために話す人は、ちゃんと人に気を使い、人の話も聞いていますので、その人が誰のためにおしゃべりなのかというのは何となくわかるものです。
おしゃべりに限らず、どんな言動も、それが同じようなものであったとしても、それが誰のためにされたのかによって、評価は異なってくるのです。
それを誰のためにするのかを見直す
人間関係において、人が完全に誰かのためだけに振舞うというのは容易ではありません。
誰であっても、多少なりとも、自分のために振舞っているということは否めないでしょう。
しかし、自分のためだけに振舞う人は嫌われます。
自分勝手、自己中などと思われることでしょうし、自分のためだけに振舞うということは、相手を自分のために利用しているということなのですから、利用されて良い気分がする人はいないことでしょう。
他者がいる場面では、自分のためだけでなく、他者のために振舞うということも重要なのです。
全てではなくても、少しでも他者のためにという要素が入ってくれば、自ずと言動は変わってきますし、嫌われるリスクを減らすことができます。
他者のためと思っていても、自分のためだけになっているなんてことも、往々にしてあるものです。
自分の言動が独りよがりになっていないか、他者のためという要素が少しでもあるのかを、今一度見直してみましょう。
それが気を使うということなのかもしれません。