人は、誰もが報われたいと思って、頑張って生きていることでしょう。
努力は必ず報われるなどと言われることがありますが、果たして頑張った人の誰もが、報われる人生を送っているのでしょうか?
いつか報われると信じて頑張っても、報われない
辛い時、しんどい時、心が折れそうな時、いつか報われると信じて、いつか報われると自分に言い聞かせて、歯を食いしばって頑張っている人もいるでしょう。
その頑張りが、報われることもありますが、頑張りが報われる人は、ごく一部で、報われない人がほとんどです。
報われるとは、努力や頑張りなどの費やした労力等に対して、見合うだけの見返りがあるということです。
何かに労力を費やして努力や頑張るということは、往々にして苦痛を伴います。
人は通常、苦痛を避けるようにできています。
苦痛は生命を脅かす可能性があるものだからです。
苦痛を避けることは、ある意味、本能的な行動と言えるでしょう。
そして、その苦痛という危険を避けるために、一度経験した苦痛は、実際の苦痛の度合よりも、強く心に刻まれます。
人は苦痛というものを、実際の苦痛よりも、より強い苦痛として感じているのです。
そのため、苦痛を伴う努力や頑張りというのも、実際以上の努力や頑張りをしたと感じてしまうのです。
一方で、喜びというものは、実際よりも少なく感じます。
喜びは人に快の感情をもたらしますが、人は欲深いのでより多くの快を得ようとします。
この欲深さも、人間の本能的なものだと言えるでしょう。
より多くの快を得るためには、快を実際よりも少なく感じさせて、快が不足していると思わせる必要があるのです。
そのため、人は、喜びなどの快は、実際よりも少なく感じてしまいます。
つまり人は、苦痛を伴う努力や頑張りを、実際以上に努力し頑張ったと捉え、その結果、得られる快を伴うものに対しては、実際よりも不足していると捉えてしまうのです。
このような人間が、努力や頑張りが報われたと感じることができるかと言われれば、否と答えるしかありません。
実際には努力や頑張りに応じた見返りがあったとしても、人はそのように感じることができないのです。
努力や頑張りが報われたという人は、実際の努力や頑張りでは得られないような大きな見返りを得た、運の良い人だけなのです。
頑張らなければ報われない
どうせ報われたと感じられないのであれば、頑張る必要なんてないという意見もあるでしょう。
それも一つの考え方で、誤りではありません。
しかし、普通に生きるのも辛いと感じている人も多い今の世の中で、いつか報われるという希望なしに生きるのは容易ではありません。
いつか報われるという希望にすがりたい人は、頑張り続けるしかありません。
頑張っても報われないかもしれませんが、運よく報われる可能性はあります。
頑張らなければ、報われる可能性はゼロです。
何もしないで、何か見返りを得るということはありえないのです。
報われない人生
報われる可能性にかけて頑張っても、報われたと感じれる人はほとんどいませんので、結局は報われない人生で終わることでしょう。
多くの人にとって、人生は報われないようにできているのです。
気楽に生きるには、そんな諦めも必要かもしれません。