”勉強なんてしても、将来何の役にも立たない””それを練習しても、実践では役に立たない”等々といった言葉を耳にすることがあります。
これは事実でもあり、みっともない言い訳でもあると言えます。
実践では役に立たないという言い訳
”勉強なんてしても、将来何の役にも立たない”
確かに、勉強したことが将来直接的に何かの役に立つということはそれほどないかもしれません。
勉強ができるからといって、仕事ができるわけではないと言われることがあるように、”勉強なんてしても、将来何の役にも立たない”というのは、事実でもあるとは思います。
しかし、勉強して難関大学を卒業すれば、大企業等、人が羨むような仕事に就ける可能性は高まります。
難関大学卒業でなくても、大学等でそれなりに勉強してきた人(大学にいっても、遊んでいた人は別です)と、高卒で勉強をあまりしてこなかった人を仕事の場で比べた場合、思考力に差がある場合が多いのです。
そういう意味では、勉強が役に立ったと言えます。
”それを練習しても、実践では役に立たない”
例えば、サッカーのリフティングが何百回とできたところで、プロ選手になってスパースターになれるわけではありません。
練習しても、実践では役に立たないと言えます。
しかし、リフティングでギネス記録を樹立すれば、役に立ったと言えます。
もう少し身近なところで考えると、資格というものがあげられるでしょう。
資格なんて、取ったところで、すぐに実践で役に立つかと言われると、そうではありません。
資格を取って、実務経験を積んで初めて役に立つようになるのです。
仕事等で、資格がない実務経験者と、資格がある実務未経験者を比べてどちらが使えるかと問われたなら、間違いなく前者のほうが使えるのです。
では、資格がない実務経験者と、資格がある実務経験者を比べたらどうでしょうか。
実務能力に差がないとすれば、有資格者が優先されるのは言うまでもありません。
資格がなければ、業務の範囲が制限される場合もありますし、資格の有無による信用度や説得力が違ってくるからです。
このように、”実践では役に立たない”というのは、事実である一方で、言い訳にしかならない場合もあるのです。
”実践では役に立たない”がみっともない言い訳になる時
できない人が”実践では役に立たない”という言葉を使った瞬間に、それはみっともない言い訳になります。
勉強ができない人が、”勉強なんてしても、将来何の役にも立たない”と言う。
リフティングができない人が”それを練習しても、実践では役に立たない”と言う。
資格を持たない人が”資格があっても、実践では役に立たない”と言う。
想像してみるといかがでしょうか。
負け犬の遠吠えにしか聞こえないことと思います。
できない人が”役に立たない”と言ったって、何の説得力もありません。
そもそも、自分ができないことに対して、役に立つ立たないの評価ができるものでしょうか?
別に”役に立たない”と言いたいのなら、言ってもらってもかまわないのですが、それを聞いている多くの人が内心では”お前が言うな”と思っていることでしょう。
”実践では役に立たない”という言葉は、それができる人にのみ許される言葉だと言えます。
上記の例で言えば、勉強ができる人、リフティングができる人、資格を持つ人のみが、”実践では役に立たない”と言っていいのです。
彼らは、できるようになったうえで、”実践で役に立たない”と言っているのですから、言い訳でも何でもなく、率直な実感なのでしょう。
できない人が言うそれとは説得力が違います。
優秀な人は実践では役に立たないと言わない
個人的な印象でしかありませんが、優秀な人や、何かしらの結果を残したり、成果を上げる人というのは、”実践では役に立たない”という言葉をほとんど使いません。
実践では役に立たないと思われるようなことでも、まずはできるようになってみてその意味を見出そうとしますし、実際にできるようになれば、何かしらの意味を見出しています。
無能な人や、口ばかりで何の結果も成果も出せない人ほど、”実践では役に立たない”という言葉を使いたがる傾向にあると思います。
いずれにせよ、”実践では役に立たない”という言葉は、できるようになってからか、例えば実際に全く勉強せずに、学歴も中卒で、そこから頑張って社長になった等の結果を出したといったような、”勉強なんて将来役に立たない”を実行した人以外の人は使わないほうが無難でしょう。
できない人が使うと、聞いているほうは痛々しい気持ちになって、残念な人だなと思わずにはいられません。
いい歳をした大人が、できないくせに”実践では役に立たない”という、みっともない言い訳をしている場面が思った以上に多いのです。