上司や先輩の武勇伝を聞くのが嫌い、苦痛という人が多いようです。
武勇伝や自慢話は嫌われる傾向にあるにも関わらず、こういった話をするのが好きな人も、いまだにけっこういたりします。
武勇伝を語る心理
武勇伝を語るのは、自己顕示欲や自己承認欲求の表れであるといえます。
今の自分は他者から認められていない、他者から取るに足らない人間であると見なされていると感じている人で、劣等感が強く自信がない一方で、自分を認めてほしいと思っている人ほど、武勇伝を語りたがります。
武勇伝というのは、主に過去の成功(自分が成功と思っていること)について語られます。
”昔はよかった””昔はすごかった”といったようにです。
”昔はよかった””昔はすごかった”ということは、今はよくないし、たいしたことがないということです。
他者に認められるような、誇れる今がないから、過去をアピールするのです。
そして、(過去は)すごい人だったのだから、(今も)認めろというのが、武勇伝を語る心理なのです。
また、”昔はワルだった”というのも同じことです。
本当は怖い人なんだよ、喧嘩が強いんだよと、強さや怖さをアピールして、他者を恫喝し、優位性を得ようとするのです。
武勇伝を語る人は、今がしょぼいので、過去の栄光にすがろうとします。
自分の周りの武勇伝を語るのが好きな人を見てみてください。
今すごいと言えるような人はほぼいないと思います。
今すごい人は、今の自分がすごい人と認められているのですから、わざわざ武勇伝を語る必要なんてないのです。
武勇伝が嫌われる理由
一言で言えば、必要とされていない、何の役にも立たないから、武勇伝というのは嫌われます。
今すごい人の話であれば、その人の過去の話を聞いても、何かの役に立つかもしれないと考え、興味を持って聞けますが、今たいしたことがない人の話を聞いても、しかたがないというのが本音でしょう。
いくら過去はすごかったと言われても、今たいしたことがないのですから、何の説得力もありません。
そして、今たいしたことがないのですから、そんな人の過去の話を聞いても、何の参考にもならないのです。
どうでもいい話を聞かされるのは、時間の無駄ですし、楽しいわけでもないのですから、嫌われて当然と言えば当然です。
たいしたことがない人(たいしたことがないと思われている人)に、”私を認めろ”と武勇伝を語られても、苦笑いしかできないのです。
武勇伝を止める言葉
もし、そんな武勇伝を語る人に遭遇し、その武勇伝にうんざりしたら、「それが今のあなたの、何の役に立っていますか?」と聞いてみましょう。
上でも述べたように、武勇伝というのは、今たいしたことがない人が語るものです。
今たいしたことがないということは、過去の武勇伝は何の役にも立っていないということです。
だから、そんな質問をされても、何も答えることができないでしょう。
ただし、この言葉を使う時は、嫌われることや、喧嘩を覚悟して使ってください。
武勇伝は上司や先輩等、一般的に目上という立場の人からされる場合も多いですので、あなたの立場を悪くすることだってあります。
くだらないと思いながらも、たいしたことがない人の戯言と思って、武勇伝を聞いてあげるくらいの心の余裕はあったほうがいいかもしれません。