くすぶり人の戯言

負けない人生に勝ちはない

負けない人生に勝ちはない

以前、「負けようとしない人々」について書いた。

負けないことを人生の最重要課題とし、生きている人が多い。

しかし、自分の人生に不満を感じている人は、負けない人生では、充実感を得ることはできないし、勝ったと思えることも当然ない。

負けない人生とは?

リスクを回避し、保身に走る人生のことだ。
無難な選択を続け、世間一般で言われるような平均の範囲未満にならないことを最大の目標として送ってきた人生のことだ。

自分が平均の範囲内の収まっているのであれば、勝ったと思うことはなくても、負けてないとは思えるのだろうから、それなりに満足を感じている人もいるだろう。
一方で、負けてはいないが何となく人生に不満を感じている人もいることと思う。
負けないために無難な選択を繰り返してきたのだから、必ずしも自分が思う最善の選択をしてきたとは限らない。時には我慢して無難な選択もしたのだと思う。
我慢してここまで無難に頑張ってきたのに、勝つことのない負けていないだけの人生に不満を感じていても不思議ではない。

負けないよう無難な選択をしてきたにも関わらず、自分が平均未満になってしまっている場合は、自分の人生に大いに不満を感じていることだろう。
負けない選択をしても、世間一般の基準から見たら負けという状態になってしまうことだってある。負けないよう頑張ってきたのに、負けてしまったのだから、「こんなはずではなかった」と不満を感じずにはいれないことと思う。

いずれにせよ、負けない人生を送ってきたのだから、今、人生に勝ったと思える状態になくても仕方のないことといえる。
50点の人生を狙ってきたのだから、100点の人生が送れることなんて稀なのは当たり前のことなのだろう。負けない人生にあるのは50点の充実感・満足感だけだ。100点の充実感・満足感を得ることなんてできないのだ。

人生に勝ったと思えるような充実感・満足感が欲しいなら、リスクを取らなければならない

テストで50点を取るには、50点を取るための努力をし、それなりの時間をかければ良い。勉強範囲も絞りこんで、50点を取ることに尽力すれば、そう難しくはないし、10点20点になる可能性も低いだろう。

テストで100点を取ろうと思えば、当然、50点を狙うとき以上の努力をし、50点を狙う時以上の時間をかけないといけないだろうし、勉強範囲も幅広くなるだろう。勉強範囲が広い分、中途半端になれば、50点以下の点数になる可能性だってある。

どちらの場合も、労力に見合わない結果に落胆することもあるだろうが、50点を狙って30点だった時と、100点を狙って30点だった時では、同じ30点という結果でも100点を狙ったときのほうが、落胆の度合が大きいだろうし、恥ずかしいし、情けないと感じることだろう。

50点を狙って30点だった場合は、「50点狙いだし」と言い訳もできるし、目標点の6割の点数を取れているのだから、はたから見たら同じ30点でも自分を納得させやすい。

100点を狙う時のほうが、50点を狙う時に比べ、色々なリスクが大きいのだ。

人生も同じだ。100点の人生を目指せば、その分多くのリスクを伴う。

しかし、50点では50点分の充実感・満足感しか得られない。

今の人生に不満で、人生に充実感・満足感を得たいと思っているなら、リスクを負い、負けることも覚悟したうえで100点の人生を目指すしかない。

最後に

本来、人生に勝ち負けなどはないのだと思う。

ただ、世間一般の基準(収入等)で見た勝ち負けというのは存在する。
その基準に準拠した負けない人生を送っている人が非常に多い。

そういう基準に左右されずに、自分が満足できる人生を目指すのが本当は一番良いのだとは思う。

今、人生に不満を感じている人は、世間の基準を無視して、自分がリスクを背負って、自分が100点と思える人生を目指すと良いかもしれない。

モバイルバージョンを終了