よく、社会がおかしいなどと、社会の所為にする人がいます。
確かにおかしいと思うことも多い社会です。
社会の所為にする人は、おかしな社会に飼われたまま
社会の所為にする人というのは、”社会がおかしい”、”こんな社会じゃなかったら…”と、一生言い続けながら、おかしな社会に飼われ続ける人です。
私も含め、世の中の多くの人が、このような人々なのではないでしょうか。
社会がおかしいとか、時代が悪かったとか、言っても仕方のない事です。
おかしな社会の犠牲者は、あなただけではありませんし、あなたと同じように悪い時代を生きてきた人はたくさんいるのです。
文句を言ったからと言って、社会がおかしくなくなるわけでも、時代が良くなるわけでもありません。
例えば、仕事等でもそうですが、仕事に対して、文句や愚痴ばかり言っている人がいますが、言ったからといって、なにか好転するようなことがあるでしょうか?
文句や愚痴を言うだけで、何かが変わるということはないのです。
文句や愚痴しかないのなら、さっさとその仕事を辞めるか、文句や愚痴を言いたくならないよう、自分にとって都合の良いように変えていけばいいだけの話です。
大抵の場合、文句や愚痴ばかり言う人というのは、”次の仕事が見つからない”などと言って、その仕事を辞めもしなければ、”自分が何か変えようとすれば周囲に迷惑がかかる”などと言って、何かを変えようとすることもないでしょう。
結局、いつまでも文句や愚痴を言い続けながら、会社に飼われ続けるのです。
人間生きていれば、文句や愚痴を言いたくなることだってあります。
たまには文句や愚痴も良いでしょう。
しかし、文句や愚痴ばかりというのは、完全に弱者であり、敗者の在り方だと思います。
社会の所為にしない人は、おかしな社会を変える可能性のある人
社会の所為にしない人には、2つのタイプが存在します。
1つは、おかしな社会を受け入れ、身の程をわきまえて、そのおかしな社会で適応し、自分なりに、生きていく人です。
こういうタイプの人は、言っても仕方のない文句や愚痴は言いませんし、自分にできることをしようとしますので、文句や愚痴だけの人に比べて、それなりに人生を楽しんでいますし、自分なりに納得できる良い人生を送っている人が多いです。
そして、もう1つのタイプが、おかしな社会を変えようとする人です。
社会と言うと大きな括りなってしまいますが、自分の周囲といった、小さな社会を変えていくような人もこのタイプです。
おかしいと愚痴や文句を言うのではなく、おかしいから自分にとっておかしくないように変えてしまおうという考えを持ち、行動するタイプです。
このタイプは、おかしいと感じているのは自分であって、自分にとっておかしくないように社会を変えようとしますので、周囲は迷惑を被る場合もありますが、それを悪い事なんて思っていません。
周囲も自分と同じように、自分にとって良いように変えていけばよいと考えているからです。
ただ、小さな社会を変えられないような人が、大きな社会を変えられるはずもありませんので、このタイプの人が、おかしな社会を変える可能性を持った人であると言えるとは思います。
どれを選ぶかは自分次第
文句や愚痴ばかりを言う人になるか、おかしな社会を受け入れて生きていく人になるか、おかしな社会を自分の都合の良いように変えていく人になるか、どれが良い悪いということはありません。
ただし、文句や愚痴ばかりを言う人というのは、何も生み出さないばかりか、周囲に不快感を与えますので、あまり価値を見出せるものではありません。
いずれにせよ、自分が満足できる生き方を選んでほしいと思います。