本質を見極めることは、多くの人が重要だと考えていることでしょう。
中には、偉そうに”本質を見極めないといなけい”などと、説教をたれる人がいますが、そういう人に限って本質が見えていないことが多いのです。
本質とは?
ほんしつ【本質】
① 物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。 「問題の-を見誤る」
② 〘哲〙 〔ラテン essentia; ドイツ Wesen〕
㋐ 伝統的には、存在者の何であるかを規定するもの。事物にたまたま付帯する性格に対して、事物の存在にかかわるもの。また、事物が現に実在するということに対して、事物の何であるかということ。
㋑ ヘーゲルでは、存在から概念に至る弁証法的発展の中間段階。
㋒ 現象学では、本質直観によってとらえられる事象の形相。
『大辞林 第三版』(三省堂)より引用
上記の意味を見ると、何となくわかった気がしますが、よく考えてみると、やっぱりよくわからないという人も多いのではないでしょうか。
「物事の本来の性質や姿」とありますが、「本来の性質や姿」とは一つなのでしょうか。
物事を見る側からすると、見る人によって、物事の捉え方は多少なりとも異なります。
そして、見る人にとっては、その捉え方が、真実であり、本来の性質や姿なのです。
例えば、人の本質を見極めるなどということがありますが、同じ人であっても、”明るい”と捉える人もいれば”暗い”と捉える人もいます。
捉える側によって、その見方は異なりますが、それは、本質を捉えていないと言えるでしょうか?
人間なんて、一言で語れるほど単純ではありません。
”明るさ”と”暗さ”が共存していても、別に不思議ではないのです。
”明るい”のも”暗い”のも、いずれも本質なのではないでしょうか。
そもそも、その物事の本質は、誰が定義するのでしょうか。
また、「それなしにはその物が存在し得ない性質・要素」とありますが、物事は、いくつもの性質・要素が重なり合って成立するもので、すべての性質・要素がなければ、その物事として成り立たないのです。
なくてはならない性質・要素はひとつではありません。
なくてはならない性質・要素は複数あり、その全てが本質だと言えます。
そんな風に考えると、本質なんてあってないようなものですし、本質なんて一つとは限らないと言えるのではないでしょうか。
本質を見極める重要性を説く人ほど、本質が見えていない理由
本質を見極める重要性を説く人は、基本的に自分が本質を見極める能力を持っていると思い込んでいます。
そうでなければ、あってないような本質を見極めろなんて言えないからです。
そして、自分が本質を見極める能力を持っている人は、自分の見極めた本質が正しく、それが全てだと思っています。
自分が本質を見極める能力を持っていると自負しているのですから、当然と言えば当然です。
つまりは、本質を見極める能力を持つと自負している人は視野が狭いのです。
狭い視野で、物事を柔軟に捉えることができないのですから、本質が見えていなくても当然です。
そのことに気づいていないまま、本質を見極めろなんて言っているから、本質が言えていないのです。
本質を見極めるには、視野を広く、柔軟に物事を捉えることが必要
本質を見極めるには、偏見や先入観に因らず、視野を広く、柔軟に物事を捉えることが必要です。
そして、本質は一つなどと思わず、本質と思ったそれが、本当に本質かどうかを疑う姿勢も必要です。
そうやって、物事を見ていくうちに、本質に近づけるのではないかと思うのです。