小さい人を潰したがる人
人間というのは、ほぼすべての人が、自分を基準として、自分より上か下か、強いか弱いか、大きいか小さいかといったように、自分を取り巻く人に序列をつけている。
中には、自分より上で強く大きい人に立ち向かっていくといったように、気骨のある生き方をしている人もいるだろうが、それは本当に稀だと思う。
多くの人が、負けないために下を見て、自分より弱く小さい人を潰そうとしている。
人は、その生存本能からか、自分が上だと認めている人には、少々気に障ることを言われたりしても、勝てないと認めているのだから、歯向かったりしない。
しかし、自分が見下している人に、歯向かわれたり、気に障ることを言われると、腹を立て、あなたより自分が上だと知らしめ、下の人に負けないように、下の人を潰そうとする。
もちろんこの序列というのは、各個人が勝手に思い込んでいるだけのもので、事実でも正しいわけでもない。
もっといえば、序列をつけるということ自体が愚かな行為なのだろう。
しかし、人というのはこの愚かな行為がやめられないのだ。
自分が大きいと思い込んでるなら、小さいことをするな
自分が上で強く大きいと思い込んでいるなら、自分より下で弱く小さいものを潰すなんて小さい事はしないほうが良い。
それでいてこそ、上位者であり、強者であり、大きな人間でいられるというものだ。
例えば、夏場にコバエが飛んでいて鬱陶しいと思うことがある。
そんなコバエも放っておけば、そのうち見なくなる。
鬱陶しいからと言って、駆除しようとすれば、多少なりとも労力を要するし、手でつぶしたりすれば、手が汚れてしまう。
放っておいても、そのうち気にならなくなるのだから、わざわざ自分の手を汚す必要なんてない。
人だって同じだ。
本当に自分より下で弱く小さいのであれば、多少鬱陶しいと思うことがあっても、放っておけばそのうち気にならなくなる。
潰すなんて労力を使うことも、手を汚す必要もないのだ。
そうならないのは、自分より下で弱く小さい人間ではないからだ。
だから、潰そうとする。
潰そうとする行為自体が、下で弱く小さいものではないということを証明していて、自分が下で弱く小さいことを表している。
本当に自分が大きな人間なのであれば、小さい人を潰す必要なんてない。
大きな人間らしく、大きな器で、小さい人を寛容に見守ってあげればいい。