くすぶり人の戯言

性格の良し悪しなんてない

性格の良し悪しなんてない

世の中には、他者の品定めが大好きな人も多く、中には品評会であるかのように、それについて、嬉々として話したがる人もたくさんいます。

そういう人たちは、もちろん、他者の性格についても良し悪しを語りたがりますが、それを傍から見ている人たちも、そういう人たちの性格の良し悪しを判断しています。

 

性格の良し悪しなんてない

先日、表面的な人当たりは良いのですが、人の批判が大好きな人に出会い、”この人、性格悪いな”などと思ったことがあったのですが、その人の性格が悪いと思っているのは自分でしかないとふと思いました。

性格の良し悪しなんてものは、本当はないのではないかと思うのです。

多くの人が、他者の性格について、良い、悪いといったことを公言したり、感じたことがあると思いますが、良い性格、悪い性格の定義は何でしょうか?

性格が悪いという人は、全ての人にとって性格が悪いのでしょうか?

例えば、上記の私が出会った、私が性格が悪いと思った人も、全ての人にとって性格が悪いとは限りません。

十分な理由になるかどうかはわかりませんが、上記の私が出会った方は結婚をされているのですが、性格が悪いと思う人と結婚をする人は、それほど多くないのではないかと思います。

その方の配偶者にとっては、性格が良かったのかもしれません。

そんなことを考えると、性格の良し悪しなんてものはなく、我々が良い性格、悪い性格というものは、単に個人の好き嫌いでしかないのではないかと思うのです。

本当は性格の良し悪しなんてなくて、個人の好き嫌いを性格が良い、悪いなどと誤った表現をしているにすぎないのではないでしょうか。

 

多くの人に性格が悪いと認定される人は、性格が悪いのか?

集団や組織にいると、その構成員の多くの人から、性格が悪いと認定される人がいます。

そういう人は、性格が悪いのではないかという意見もあるかと思います。

しかし、その人が本当に性格が悪いかどうかはわかりません。

集団や組織内では、個人の場合とは別に様々な力が働いています。

例えば、影響力や発言力のある人、権力を持つ人等が、ある人のことを”性格が悪い”といったとしましょう。

そうすると、そういった、何かしらの力を持つ人の意見に引っ張られたり、影響されたりするということは、往々にして起こることなのです。

集団や組織の中では、力を持たない者が、自分の意見を押し通すなんてことをすれば、孤立し集団や組織にいられなくなることだってあります。

だからこそ、力を持つ人に同調し、その結果、複数の人から性格が悪い認定される人が出てくるのです。

もちろん、集団や組織内では、それ以外の力や、思惑なども働いているのでしょうから、上記だけが理由ではありませんが、いずれにせよ、複数の人から性格が悪いと認定されているからといって、必ずしも性格が悪いわけではないのです。

その集団や組織内では性格が悪いという認識を持たれているだけということに過ぎません。

 

他人の性格の良し悪しなんて口にするものではない

人の性格に良し悪しなんてものは存在しません。

それぞれの人に性格の特徴はあるでしょうが、それを自分の好み、好き嫌いだけで、性格が良い悪いなどと言うものではないと思います。

性格が良い悪いではなく、好きか嫌いかということを言うのであれば、まだ理解できますので、正しい表現をしたほうが良いのではないかと思います。

ただ、他人の性格について好き嫌いを公言するなんて、稚拙ととられるかもしれませんし、あなた自身の性格を疑われるかもしれません。

他人の性格の良し悪しを口にするのは、自分勝手な好き嫌いを口にしているのと同じなのですから、他人の性格に関して、とやかく言うものではないのではないでしょうか。

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