3月も残すところわずかとなり、別れを迎えている人も多いことと思う。
別れを惜しむ
別れの季節を迎えて、”やっとこの環境から脱することができる”と喜んでいる人もいれば、別れを惜しんでいる人もいることと思う。
別れを喜んでいる人は、それまでの環境が自分にとって望ましくないものであったのだろう。
別れを惜しんでいる人は、それまでの環境が自分にとって望ましいものであったのだろうと思う。
しかし、どんな別れでも、基本的には惜しいものなのだと思う。
それは、過去にはどう頑張っても戻れないからだ。
その時代、その年齢、その環境で、その人と関われることは、今後、一生訪れることはない。
また、単純にこれからも付き合いがある人もいれば、二度と会わない人もいることと思う。
そんな風に考えれば、感慨深いものもあり、どんな別れも、基本的には惜しいものなのではないかと思う。
それでも、べつに別れなんて惜しくないという人もいるだろうし、それはそれでいいのだと思う。
捉え方は、人それぞれだし、別れを惜しむべきなんていう気もない。
別れ際にどうあるか
別れを惜しむ必要はないが、”別れ際にどうあるか”ということは、重要ではないかと思う。
大嫌いな人で、二度と会うことがないと思われる人だからといって、仕返しとばかりに、別れ際にぞんざいな扱いをすれば、相手からすれば、それまで以上に印象が悪くなり、クズ人間との印象しか残らないでしょう。
二度と会わないというのは、仮定の話で、これからの人生でどこかで再開する可能性も、あなたの人生に重大な影響を及ぼす可能性も全くないとは言い切れないのです。
それこそ、最近はSNSなどで、どこで誰が繋がっているかわからないので、あなたの知らないところで、あなたがクズ人間だという話が、広まってしまうかもしれません。
一方で、社交辞令的であっても、別れ際に”お世話になりました”ときちんと挨拶すれば、悪い印象、悪い関係が、多少なりとも改善されるかもしれません。
嫌いだったけど、意外に良い奴かもとか、もう少し関わってみれば良かったと思ってもらえるかもしれません。
別れを迎えて終わりという考え方もできますが、先のことは誰にもわからないように、別れを迎えたからといって、その人との関りが、完全に終わりとは言い切れないのです。
ここまで我慢してやってきたのですから、最後の別れ際も我慢できるはずです。
感情に流されず、自らリスクを負うようなことはしないで、そつのない、それなりにきれいな別れを目指してほしいと思います。