大人が、衝動に身を委ねるというと、なんだか悪い事のように思えるかもしれません。
もちろん、何でもかんでも衝動に身を委ねて良いわけではないと思いますが、もっと衝動に身を委ねても良いのかもしれません。
人は何かをする時、理由を求める
人は、何かをする時に、理由や目的、意味を求めます。
それは、「意味付け、理由が、活力になる」からです。
人生にも同じことが言えます。
「人生なんて無意味です」が、人生の意味を見出さないと生きるのが辛いのです。
例えば、就職活動を思い浮かべてみてください。
面接の際に、大半の企業でいわゆる志望理由というものが求められます。
これは、理由が仕事をする上でのモチベーションになるという考えがあるからです。
理由、意味、目的があれば、それがモチベーションになるというのは事実ではあります。
そして、理由、意味、目的があれば、自分も他者も何かをすることを納得し、理解しやすいのです。
理由を求めることが足枷にもなる
理由、意味、目的が何かをするための、モチベーションになりますが、理由、意味、目的を求めることが、何かをするための足枷にもなります。
何かをしたいと思っても、理由、意味、目的が見出せなければ、しないという選択に繋がってしまうこともあるからです。
理由、意味、目的を見出せずに、したいと思った何かをしないという選択をすることは、何かをして新しい可能性を見出すチャレンジを放棄しているとも言えます。
理由、意味、目的を求め見出すことは、何かをする上ではモチベーションになりますが、理由、意味、目的を求めすぎると、それらしい理由、意味、目的が見出だせなかった場合、やらない理由を求めることになり、新しいチャレンジへの歩みを止める足枷にもなるのです。
衝動に身を委ねても良い時もあると思う
だからこそ、衝動に身を委ねても良い時もあると思うのです。
何かをやってみたいと思ったら、理由、意味、目的を見出せなくても、何かをやりたいという衝動に身を委ねて、その何かにチャレンジしてみるのです。
他人から馬鹿にされようが、自分でも馬鹿げていると思おうが、やってみたいという衝動に駆られたのであれば、理由、意味、目的を見出せなくても、とりあえずやってみたら良いのではないでしょうか。
チャレンジしてみれば、理由、意味、目的が見いだせるかもしれませんし、それらが見出せなければ、そのうちやらなくなるだけのことです。
衝動に身を委ねて、とりあえずやってみることで、それが楽しみや生きがい、特技になることだってあるかもしれません。
もちろん、他人に迷惑をかけるようなことは、衝動に身を委ねてはいけませんが、そうでないのであれば、やらない理由を探すくらいなら、時には衝動に身を委ねてみても良いのかもしれません。