他人の若さを羨む人がいます。
大学生くらいの子が、高校生を見て、「若いっていいな」などと、大人ぶって先輩面していうこともあるでしょうし、先の見えた50代くらいの人が、これからがある30歳前後ぐらいの人を見ていうこともあるでしょう。
いずれにせよ、この若さを羨む行為は痛々しいなと思ってしまいます。
お前にもその年齢の頃があっただろう
私も世間一般から見れば、決して若いといえる年齢ではなく、ある程度、先の見えた年齢なのだが、最近自分より一回り程度年上の方(以下、Aとする)に、「若いからまだまだチャンスがあっていいね」「若いから何でもできていいね」「自分はもう年だから、チャンスもない」と、若さを羨まれたことがある。
Aのこの言葉を聞いて、正直、こんな風にはなりたくないと思ってしまった。
Aは上記の言葉を、然も、自分にはその年齢の頃がなかったかのように言っていたが、Aにも私と同じ年齢の頃があったのは間違いない。
Aの今の境遇は決して恵まれたものではなく、若さを羨む気持ちはわからなくもないのだが、それは、今までAが生きてきた結果だ。
もちろん、Aが私の年齢の頃と、今では時代が違うなどというこもともあるだろうが、それはどうしようもないことであるし、Aの年齢からすれば、悪い時代ばかりを生きてきたわけではないのだ。
自分の今の境遇が、自分の望んだものではないからと言って、他者の若さを羨んだってどうしようもない。
お前にも等しく私と同じ年齢の頃があったのに何をほざいているのですかと言ってやりたい気分だ。
若さを羨む人には風格がない
若さを羨む人がいれば、若さを羨むことなどない人もいる。
両者を比べると、若さを羨む人には、年齢相応の風格がない。
若さを羨む人には、年齢相応の魅力や、尊敬できる点等がなく、年齢のわりに、その言動が幼く幼稚に見えることが多いのだ。
別に何か成功しているから、若さを羨んだりしないということではない。
特に成功していなくても、くたびれたしがないサラリーマンでも、無職のおっさんでも若さを羨まない人というのはいる。
そういう人は、その言動にもどこか一本芯があるし、状況は残念でも、何かしら人間的な魅力があり、年齢相応の風格があるのだ。
なぜ、その差が生まれるのかはわからないが、自分の人生なり状況を受け入れ、今の自分で今を生きているからなのかもしれない。
若さを羨む人は、若い人を見下したがる
若さを羨む人は、その根底では、若い人を見下している。
若さを羨む人ほど、「最近の若い人は…」とか、「若いからわからないだろうけど」といったことを言いたがる。
若さを羨む人は、年齢相応の”武器”のようなものがないのだ。
だから、絶対に覆ることのない、年上というところを強調して、優位に立ちたがるのだろう。
若い人を羨むというのは、劣等感からくる皮肉のようなものなのかもしれない。
若いから羨ましいと言いながら、腹の底では年齢だけで自分が上だと思いこむために、若い人を見下す可哀想な人なのだろう。
若さを羨むような年齢の重ね方をしてはいけない
若さを羨むような人間にはなりたくないものだと思う。
若さというのは、それだけで武器になることもあるし、羨む気持ちが全くないわけではないのだが、いい年をして、年齢相応の風格もないままに、若さを羨むような人は、個人的には格好悪いと思うからだ。
どうせ生きるなら、自分が格好良いと自信を持てるようになっていたいと思う。
年齢を一つ重ねるごとに、若さを羨むようになるような生き方はしてはいけない。