これまでも、これからもずっとくすぶってい生きてく人もいることでしょう。
もしかしたら、気付いていないだけで、ほとんどの人がくずぶりながら生きているのかもしれません。
理想と現実のギャップに折り合いがつかない
くすぶっている人は、理想と現実のギャップに折り合いがつかない、つけられない人なのだと思います。
きっと何者かになれると思っていたにも関わらず、現実には何者にもなっていない。
何の変哲もない、量産型かそれ以下の人間になっており、これから何者かになる見込みもない。
多くの人は、ここで”人生こんなもの”と折り合いをつけて、それなりの人生を送ることに妥協する。
身の丈にあった、それなりの人生を送れることだって、十分幸せなことなのだから、これは決して悪い事ではない。
むしろ、そのように生きることが普通であり、そのような人生を受け入れることが、大人になるということなのかもしれない。
くすぶっている人は、何者にもなれていないことに折り合いがつかず、それなりの人生を受け入れることができていない。
だからこそ、自分はくすぶっていると感じるのです。
そんなことは不可能だと思いつつ、いつか何者かになりたいという思いを抱え、理想と現実のギャップに折り合いがつけられていない、ある意味稚拙な人間なのでしょう。
具体的な理想や目標がない
くすぶっている人は具体的な理想や目標がありません。
何者かになりたいと思っていても、具体的にこうなりたいという理想や目標はないのです。
具体的な理想や目標がないのですから、漠然と何者かになりたいと思っているだけで、何かに取り組んだりすることはありませんし、何かに取り組むことなんてできないのです。
理想や目標もなく、何もしないまま、何もできないまま、何者かになりたいと願うのです。
理想や目標があって、それに向かって取り組んでいるのであれば、充実感も得られるのでしょうが、それがないのです。
何者かになりたい、でも、それに向かっている感覚さえないのですからくすぶって悶々としてしまうのです。
くすぶりからの脱却
くすぶりから脱却するためには、具体的な理想や目標を定め、それに邁進するか、それなりの自分、人生に折り合いをつけて納得するしかない。
くすぶっている人は、現状、本人は納得できていなくても、傍から見れば、普通とか、それなりの人生を送っていることも少なくない。
きっと、現状を納得して受け入れ、理想と現実のギャップに折り合いをつけるほうが現実的だと思う。
それなりの人生だって悪くはない。
むしろ、それなりの人生を送れるというは、それはそれで素晴らしいことだ。
しかし、くすぶっている人は、これができないからくすぶっているのだろう。
だったら、はっきりと具体的な理想や目標を定め、それに邁進するしかない。
具体的な理想や目標は、極端な話、何でもいいのだ。
盲目的でも何でもいいので、それが自分の道だと信じ込み、言い聞かせて邁進するほうがいい。
何もしなければ、いつまでたってもくすぶったままだ。
何かして、それに夢中になれば、多少なりとも充足感は得られ、くすぶりから脱却できるかもしれない。