「雨ニモマケズ」という作品
宮沢賢治さんの作品で、「雨ニモマケズ」という作品があります。
知っている方もたくさんいることでしょう。
作品の解釈は色々あるのでしょうが、これは、宮沢賢治の理想の人間像を綴ったものだと言われているようです。
この作品を深く考察したわけではありませんが、この作品を読んで持つ感想は、自己犠牲、人類愛、悟りを開いた人といったところでしょうか。
これは、宮沢賢治さんの、こんな人間になりたいという志であると同時に、人間とは本来こうあるべきということを示しているようにも思います。
世の中の人々が全て、「雨ニモマケズ」のような人物であれば、誰もが生きやすく幸福な世界なのかもしれないと思ったりもします。
雨にも風にも負けました
しかし、現代の(昔から変わらずかもしれませんが)人間は「雨ニモマケズ」とは真逆で、雨にも風にも負ける脆弱な精神で、他人のことなど考える余裕もなく、私利私欲に溺れ、暴利を貪りたい人ばかりです。
いつしか人は、負けることを恐れて、風雨にさらされることを避けるようになり、仲間の殻に、身内の殻に、自分の殻に閉じこもるようになり、誰もが自己中心的で、誰もが自分勝手で、自分の殻を守るためだけのくだらない争いをするようになってしまったように思います。
雨にも風にも負けないようにしているように見えて、実は雨にも風にも負けましたという人ばかりではないでしょうか。
だから皆、くすぶってしまっているのです。
雨にも風にも負けないようにするには、閉じこもるしかありません。
閉じこもった中で燃え上がってしまっては、自分が閉じこもる場所も燃えてしまいなくなってしまいます。
そもそも、閉じこもっているので、燃え上がるための十分な酸素がありません。
でも、火を消すことはできずにくすぶっています。
閉じこもった中でいつまでもくすぶっていると、一酸化炭素中毒になって死んでしまいますよ。
負けないことにこだわって、自分で自分を苦しめているようなものです。
「そういうものにわたしはなりたい」
「雨ニモマケズ」の最後の一節に「そういうものにわたしはなりたい」とあります。
なりたい私があるのなら、閉じこもってくすぶっていないで、雨にも風にも負けない気持ちで、飛び出してほしいと思います。
その火は雨で消えてしまうかもしれませんし、風に吹き消されるかもしれません。
しかし、大きく強く燃え上がれば、少しの雨で消えることも、風に吹き消されることもありません。
雨風の所為で時には、消えそうになることもあるかもしれませんが、今までくすぶりつづけてきたのですから、案外簡単には消えないものです。
思い切って、なりたいと願う「そういうもの」になるために、挑戦してみるのも一興かと思います。