生きるのが面倒くさいと思ってしまうことってないでしょうか。
私は、時々思うことがあります。
しなければならない事ばかりで面倒くさい
生きるのが面倒くさいと感じる理由は、しなければならない事が多すぎるからだと思います。
正確にはしなければならないと思い込んでいることでしょう。
例えば、生活のために仕事をしなければならないとか、勝ち組になるために、学校に行って勉強しなければならないとかです。
他にも、節約のために自炊をしなければならないとか、部屋を掃除しなければならないとか、世間一般の価値観に合わせ、その標準内に収まるように生きようと思うと、日常生活はしなければならないことに溢れています。
その中には、自分がしたくないことも当然含まれますので、面倒くさいと感じても不思議ではありません。
しなければならない事に捉われるから面倒くさい
世の中にはしなければならない事で溢れていますが、しなければならないと思い込んでいるだけで、実際にはしなくてもいいこともたくさんあります。
しかし、しなければならないと思われていることをしないということは、世間一般の価値観や常識から外れることに繋がります。
世間一般の価値観や常識から外れると、他者から非難されたり、自分だけ人と違うという不安や恐怖に襲われます。
そのため、しなければならない事に捉われないということは容易ではないのです。
しなければならない事を、世間一般の価値観や常識に強制されるから面倒くさいのです。
しなければならない事だけになるから面倒くさい
日常生活には、しなければならない事に溢れ、しなければならない事に捉われてしまうと、1日がしなければならないことをして終わってしまいます。
そして、毎日がしなければならないことの繰り返しになり、生きることへの主体性が失われ、生きることが面倒くさくなります。
時には、どうでもいいしなければならない事を放り出し、自分のしたいことをするということも、必要なのだと思います
やっぱり生きるのは面倒くさい
自分がしたいことをしたとしても、やっぱり生きるのは面倒くさいと思います。
例えば、したい勉強があるので大学に行きたいと思っても、その大学に行くためには、したい勉強とは関係ない、したくない科目の勉強もしなければなりません。
したいことをするためにも、しなければならない事があるのです。
結局、したいことをするにしても、面倒なことに変わりはありません。
ジブリの宮崎駿さんも、彼に密着したドキュメンタリー番組の中で、「大事なことは面倒くさい」といったことを言っておられたと思います。
これは一つの真理なのだと思います。
例えば、大きな仕事や、大事な仕事になるほど、面倒くさいことが増えるように、生きるうえでも、自分にとって大事なことや、自分がやりたいことほど、面倒くさいことが増えるのではないかと思います。
つまりは、どう転んでも、生きるのは面倒くさいのだと思います。