くすぶり人の戯言

力を持っているという幻想で自滅する

力を持っているという幻想で自滅する

人は何かしら力を持つと、慢心してしまいがちです。

しかし、中途半端な力を持ったくらいで慢心していると、自滅してしまいます。

 

その力は幻想です

持っている力が本物かと問われれば、本物の場合と錯覚である場合があります。

本物の力というのは、例えば、何かの技術であったり、日常会話程度の英会話ができるであったりなど、明確に何かができる、一定基準以上の力を持っている場合、それは疑いようもない本物の力と言えます。

しかし、その力は、他の多くの人が持っている場合も多く、唯一無二の絶対的な力ではありません。

本物の力で、絶対的な力を持つというのは、極端に言えば、自分にしかそれができないという力を持っている状態のことです。

自分にしかそれができないという力なのですから、そんな力を持つ人は、そう多くはありません。

本物の力を持っていたとしても、その他大勢の人も、同じ力を持っているのですから、同じ力を持つ人の中に入れば、特別な力を持っているとは言えなくなります。

錯覚による力というのは、例えば、社会にあるカーストで、上位に位置付けられることで得られる発言力とか、技術を要さない仕事で仕事が出来ると評価されているとか、明確に何かができるという力を持っているわけではないが、持っている力のことです。

錯覚による力は、他者との比較によって得られるものです。

例えば、カーストの順位付けは、その集団の構成員との比較によってなされ、上位者が発言力などの力を得ますが、集団の構成員が変われば、比較の対象も変わりますので、カーストの序列も変動し、それまであった力がなくなるということだってあります。

仕事が出来ると評価されていたとしても、それは、その職場にいる他者との比較や、評価者の主観によるものなので、職場や評価者が変われば、仕事が出来ないという評価を受ける場合もあり、それまであった仕事が出来るという力を、失うことだってあります。

本物の力にせよ、錯覚による力にせよ、幻想であることに変わりはありません。

本物の力を持っていたとしても、他の多くの人も持っていますので、それは唯一無二の絶対的な力にはなりませんし、場合によっては力にすらならないこともあります。

錯覚の力は、言うまでもなく、流動的なものですので、その力はあってないようなものです。

 

中途半端な力に慢心すると自滅する

中途半端な力とは、力だと思っている幻想のことです。

力を持っているという幻想に捉われ、慢心すると自滅します。

例えば、それまでの職場では、自分しかできる人がいないという技術を持っていたとして、自分が力を持っているとの幻想に捉われ、転職したとしましょう。

しかし、転職先では、誰もがその技術を持っていたとすれば、あったはずの力は力でもなんでもなくなり、自分の優位性はなくなり、評価を下げて、給料が減少してしまうかもしれません。

例えば、それまでの職場では、仕事が出来ると評価されていて、自分が仕事が出来るという幻想に捉われ、転職したとしましょう。

しかし、転職先では、同じように仕事をしていて、周囲の人よりも自分が出来ると思っていたとしても、仕事が出来ないと評価されることだってあります。

以前の職場では、仕事が出来る人だったにも関わらず、転職先では仕事が出来ない人になってしまうことだってあるのです。

自分が持っていると思っている力は、唯一無二の絶対的なものでない限りは、幻想なのです。

その力は幻想なのですから、幻想に慢心していては、いつかその力は幻想であるという現実を突きつけられ、自滅することになってしまうかもしれません。

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