今まで生きてくる中で、多くのものを手放したという人もいることでしょう。
自分で手放して、人の所為にしてもしかたがない
今まで生きてくる中で、夢や可能性、大切な人や物を手放した人も多いことでしょう。
何も手放さずに生きてきたという人なんておらず、ほとんどの人が何かを手放してきたことと思います。
自らすすんで手放したこともあれば、しかたなく手放したということもあるかもしれません。
しかし、どちらにせよ共通しているのは、自分で手放したということです。
どうしようもなく、しかたなく手放したということであっても、最終的には自分で手放すという選択をしたということに変わりはありません。
みっともなかろうが、悪足掻きだろうが、何が何でも手放さないという選択をすれば、それは今もあなたの手元にあったかもしれません。
もちろん、人生には自分の力だけではどうしようもない事がたくさんあります。
自分で手放したとは言っても、手放すほかどうしようもなかったという事実はあるのだと思います。
それでも、それを言い訳にしても、他人の所為にしてもしかたがないのです。
手放したことが帳消しになることはないのです。
手放したものを、もう一度手に入れることはできるかもしれませんが、もう一度手に入れたって、時間は経過しているのです。
過去の手放す前と同じ状態には戻りません。
言い訳をして、他人の所為にするくらいなら、振り返って、反省して、手放さずに済んだかもしれない方法を考えたほうが良いのかもしれません。
それが目も当てられないほど醜悪に見えるような方法であったとしても、手放さずにいれば、今は違ったかもしれません。
今後も、きっと多くのものを手放して生きていくのだとは思いますが、どうしても手放したくないものを、手放さなくても済むように、他人の所為で手放した、しかたなく手放したと嘆き後悔するよりも、手放さなくても済む方法を模索するほうが良いのかもしれません。