時には、”こんなことをやっても意味がない”と思うことを、やること、やらされること、やらなければならないことがあります。
意味がないと思うことをして、意味はあるのでしょうか?
意味のないこと?
最近、犬の散歩をしているというか、犬と散歩をしているお婆さんを見かけることがあります。
犬と散歩というのは、通常思い浮かべる犬の散歩とは異なり、そのお婆さんは、カートのようなものに犬をのせて、お婆さんがカートを押しているので、犬は散歩していないのです。
見た目は可愛らしいので、それはそれでいいのですが、”犬の散歩になってないやん”と心の中でツッコミをいれてしまいます。
傍から見れば、犬の散歩にはなっていないので、犬の散歩という視点から見れば、意味のないことです。
しかし、これは、私が勝手に想像して、そう思っているだけのことなのです。
そのお婆さんは、犬の散歩になるほどの距離を歩けないので、犬の散歩は、他のご家族の方がされているのかもしれません。
お婆さんは、健康のために歩いていて、”一人だと寂しい”とか、”一人だと続かない”などの理由があって、でも、他にお婆さんの散歩に付き合える人がいないから、犬がお供をしているのかもしれません。
そんな風に、色々と思いを巡らせれば、一見意味のないようなことでも、実は意味があるということは往々にしてあります。
意味がないと思うのはあなたであって、本当に意味がないとは限らない
自分で勝手に”意味がない”と決めつけてしまう人が多いように思いますが、それが本当に意味がないとは限りません。
一見意味がないように思えることでも、視点を変え、立場を変え、考え方を変えれば意味があることは思いのほか多いものです。
そして、意味がないと思えることでも、相手の立場になって考えれば、意味が見えてくるものも多いのです。
それを意味がないと決めつけてしまうのは、間違っていると思います。
もちろん、本当に意味のないこともあるかもしれませんが、意味がないと思う主体はあなたであって、それが正しいわけでも、本当に意味がないわけでもないということを忘れないほうがいいかもしれません。
よく、仕事などでも、”こんなことをやっても意味がない”などということがあります(私も言ったことはいくらでもあります)。
もちろん、本当に意味がない無駄なこともありますが、その意味のないことがどうしてされるようになったのかを考えると、実は意味があったなんてことがわかるかもしれません。
時代の変化によって、今は意味がないが、過去には意味があったということもあるでしょう。
そういったことを理解したうえで、”それは意味がない”というほうが、理由も明確で、説得力も増すのではないかと思います。
意味がないと否定するのは簡単ですが、安易に意味がないと言うくらいなら、意味がないと思われるのに、何でそんなことをするんだろうと考えることが、尊重するということなのだと思います。