楽しい時はいつか終わる
楽しい時はいつか終わります。
ずっと楽しい時が続いている人というのもいるのかもしれませんが、そんな人はほとんどいないことでしょう。
楽しい時がいつか終わるのは、楽しい時が非日常だからです。
日常は言うなれば普通の状態です。
日常という普通の状態があるからこそ、それが基準となり、非日常という楽しい時を感じることができます。
毎日が楽しい時であれば、人は慣れてしまいますので、それが普通の状態になってしまい、楽しいとは感じられなくなってしまいます。
楽しい時が日常の普通の状態になってしまうのです。
これはある意味不幸なことかもしれません。
楽しい時以上の非日常を生み出さなければ、楽しいと感じられなくなってしまうのです。
あらゆることに無感動になってしまうかもしれません。
いずれにせよ、普通という日常があるからこそ感じられる楽しいです。
楽しいが続けば、それが普通になってしまうのですから、楽しいは必ずいつかは終わるのだと言えます。
苦しい時は終わるのか?
苦しいという状態は、人にとっては不快な状態です。
不快であるということは、人の心身には望ましくないということです。
人の心身に良くないということは、極論すれば、人の生命に関わるということです。
人の生命に関わるからこそ、不快という感覚は存在しています。
生命を守るためには、不快である状態から脱却しなければならないのです。
それを知らしめるために、不快という感覚が生じるのです。
不快という感覚には、人は慣れることはありません。
それに慣れてしまうことは、死を意味するからです。
だから不快な感覚はいつまでも続き、苦しい時は終わることはないのです。
苦しい時は終わらせる
楽しい時は終わるのに、苦しい時は終わらない。
楽しい時は、終わらせないと楽しくなくなってしまうのに、苦しみには慣れることはない。
そんな風に考えると、何とも生きるのが辛くなるばかりですね。
つまるところ、楽しい時も、苦しい時も、自分で終わらせるしかないのだと思います。
楽しい時は終わらせて、次の楽しい時に向けて、日常の普通を過ごす。
苦しい時は、放っておいても終わるものではないのですから、自分で終わらせる。
楽しい時はいつまでも続くほうが良いと思うのが人間というものですから、楽しい時を終わらせるのも、そう簡単ではないかもしれません。
苦しい時は、なかなか終わらせることができないからこそ苦しいのですから、これを終わらせるのも簡単ではないのでしょう。
何事も、終わらせるというは、案外難しいものなのかもしれません。