人は特別であることを望む
日本の社会では、出る杭は打たれるなどといって、周囲との調和が求められますが、一方で、誰もが、特別でありたいと願っているのではないかと思います。
特別であるということは、他者から特に認められるということです。
人は、他者に認められなければ、自分の存在意義を確認できません。
自分の存在意義をより強く感じたいからこそ、誰もが、特別でありたいと願います。
周囲との調和が求められる一方で、特別でありたありたいという矛盾があるからこそ、日本の社会は生き辛いのかもしれません。
特別でありたいと願いながらも、周囲との調和が求められるからこそ、自分らしさを感じられなくなるのかもしれません。
人は、誰一人として同じ人はいませんので、本来は、誰もが特別な存在です。
しかし、標準、一般、普通などという価値観によって、特別であってはならないと否定されるのです。
だからこそ、誰もが特別であることを求めずにはいられなくなるのです。
特別であるために
特別であるためには、他と違うことが求められます。
しかし、出る杭は打たれるのですから、他と違えば叩かれるのです。
本来は誰もが違うのに、同じであることを求められるが故、違いを出すことができないのです。
叩かれずに、他と違うままであるには、何かしら力を持つしかありません。
力を持っていれば、違っていても、叩かれずに特別であると認められるのです。
力を持っていなければ、”協調性がない”とか、”空気が読めない”といって、特別どころか、普通以下の扱いを受けます。
特別であるには、力が必要なのです。
名声、富、権力でもいいですが、これらの力を手にすることができるのは、ごく限られた一部の人間のみです。
いきなりこれらの力を手に入れることを目指すのは、ハードルが高いかもしれません。
そうであれば、まずは何か一つ自分の武器となるものを磨いてください。
特技でも何でもいいのですが、これだけは自信があるというものを身に付ければ、それが力になります。
たいそうなものである必要はありません。
何でもいいので、何か一つ力を手にすれば、全ての人にとっての特別にはなれないかもしれませんが、その分野では、あなたは特別な存在になれます。
ごく一部の限られた人にとっての特別になることだって、簡単ではないのですから、誰か一人にとっての特別になれれば良いのです。