失敗を恐れる
人は、失敗を恐れます。
それは、経験的に失敗してはいけないと刷り込まれているからです。
子どもの頃は、失敗をしても無条件に許してもらうことができました。
しかし、子どもでも年齢を重ねるにつれ、失敗をしてはいけないと教えられます。
失敗すれば、怒られ、バカにされ、蔑まれます。
失敗しても、怒られず、バカにもされず、蔑まれなければ、誰も失敗を恐れることなんてないのです。
失敗して、怒られ、バカにされ、蔑まれてきたことによって、失敗してはいけないと刷り込まれ、失敗することを恐れるようになったのです。
おそらく、失敗を恐れない人なんて、この世にはいないのです。
誰もが失敗を恐れています。
失敗を恐れると、動けなくなる
失敗を恐れると、人は動くことができなくなります。
動けば、多少なりとも、失敗のリスクが生まれるからです。
失敗をしないためには、失敗のリスクを回避する=動かないのが一番いい方法なのです。
そして、失敗のリスクを回避するために、自ら挑戦することも、試行錯誤することもできなくなり、手取り足取り教えられたことを、言われたままにすることしかできなくなります。
失敗を恐れるということは、委縮してしまうということです。
委縮すれば、のびのびなんてできませんし、本来持っている能力を十分に発揮するなんてこともできません。
いつも、言われたことを言われた通りに、無難にこなすだけです。
言われたことを言われた通りに、無難にこなすというのは、ある意味、楽かもしれませんが、つまらないとも言えるかもしれません。
失敗してもいいじゃないか
人は、基本的には体験からしか学ばない生き物です。
失敗してはいけないということは、体験的に学んでいますが、失敗してもいい、失敗体験から得ることもあるということは、失敗してはいけないの刷り込まれていますで、体験的に学んでいないのです。
しかし、新しい何かを生み出すときや、試行錯誤をしている時というのは、失敗から学ぶことのほうがはるかに多いですし、失敗しなければ、良いものには辿り着けないのです。
失敗するからこそ、得られるもの、辿り着ける場所というのがあるのです。
だからこそ、失敗してもいいじゃないかと思います。
失敗すれば、周りから怒られ、バカにされ、蔑まれるかもしれません。
それでも、失敗をすれば、失敗を怒り、バカにし、蔑むような連中が、得られないものを得ることができ、辿り着けない場所に辿り着けるかもしれません。
人間はいくつになっても、どんなに多くの経験を積んでも、失敗することはあります。
失敗して委縮なんてしないで、失敗して怒られ、バカにされ、蔑まれても堂々として、また失敗してやればいいのです。