わからないことは、どんなに考えてもわかりません。
わからないことを考え続けたからといって、答えが出るものではありません。
わからないことを考え続けるというのは無駄だと思います。
基本的に考えることは必要なこと
以前、「感じるな、考えろ」ということについて述べましたが、考えるということはそこから、創意工夫や試行錯誤が生まれますので、生きていく上では基本的には必要なことだと思っています。
一方で、「考えてもしかたのない事は考えない」ということについても書きましたが、考えても仕方のないことがあるもの事実だと思います。
それにも関わらず、ごちゃごちゃと考えてしまうのは、考えていれば、いつかわかると思っているからなのでしょうか。
考えてもわからないことはわからないのではないかと思います。
考えてもわからないこと1-知識の不足-
知識が不足していることは、考えてもわかりませんし、考えたからといってわかるようになるものでもありません。
例えば、九九のわからない人が、因数分解の問題を考えたからといって、わかるようになるでしょうか?
わかるはずもありません。
そもそもわかるようになるための基本的な知識が不足しているからです。
このように、知識が不足していることは考えてもわかるようになるものではないのです。
そんなものをいつまでも考えているのは無駄です。
知識を持っている人に、さっさとご教示いただくほうが効率的です。
それにも関わらず、プライドか何かはわかりませんが、人にわからないことを聞くということができない人が多いように感じます。
中には、いつまでも考えて(考えているふりをして)、頑張っている素振りを見せる人もいます。
無駄です。
わからないことは、わかっている人にさっさと教えてもらいましょう。
考えてもわからないこと2-他者の気持ち-
他者の気持ち・感情といった類のものも、考えてもわかるものではありません。
他者の言動から分析しようと、それは自分の勝手な想像でしかありませんし、他者が感情や気持ちを表明したとしても、それが事実だと証明するものはありません。
”気持ちとは裏腹に…”なんてことだってあります。
他者の気持ちや感情なんて、どう考えたってわかるものではないのです。
それにも関わらず、人の目を気にして、自分がどう思われているのかを考えるなんて無駄です。
余計なことにまで考えを巡らせて、心が疲弊するだけです。
私も人の目を気にするタイプなので、ごちゃごちゃと考えてしまうことがありますが、考えても無駄と割り切り、考えることをやめることも必要です。
考えてもわからないことはわからない
上記のように、考えてもわからないことは、わからないのです。
わからないことを、いつまでも考えるのは、無駄なことです。
考えればわかるなんて考えは捨てたほうが良いでしょう。
考えてもわからないことは、わからないと理解し、考えても仕方のない事は考えない習慣を身に付け、余計な不安からは解放されるほうが、精神的には良いのではないかと思います。