皆さまは、これまでの人生で最も望むものを手にしてきたでしょうか。
手にしてきた人もいれば、そうでない人もいることでしょう。
私は、最も望むものを手に入れたという経験は、ほとんどありません。
同じような人も多いのかもしれません。
最も望むもの
最も望むものというのは、人生でどうしても手に入れたいたった一つのものといったような大それたもののことではありません。
ここで言うそれは、例えば、就職で第一志望とする会社への就職、受験で第一志望とする学校への合格などのことです。
人生の節目や転換期で、選択なり、挑戦なりを求められる場面というのは多いかと思いますが、そういった節目や転換期毎の選択や挑戦の結果、その時々で最も望んだものを手に入れてきたかどうかということです。
最も望むものばかりを手に入れてきたという人もいることでしょう。
最も望むものを手に入れたこともあるが、そうでなかったこともあるという人もいることでしょう。
最も望むものを手に入れたことなんて一度もないという人もいることでしょう。
私も、最も望むものを手に入れたことは一度もなく、いつも第二希望以下のものしか手に入れてきませんでした。
なぜ最も望むものを手にすることができなかったのでしょうか。
妥協が最も望むものを遠ざける
それは、あらゆることに妥協してきたからです。
例えば、受験勉強でも、”こんなものでいいだろう”と妥協したから、第二志望の学校にしか合格できませんでした。
結局、”こんなものでいいだろう”と妥協すれば、最も望むものなど手に入らず、”この結果でもしかたがない”という妥協せざるをえないものしか手に入れることしかできないのです。
妥協が妥協せざるを得ないものを呼び寄せるのでしょう。
最も望むものを手にし続けたいのであれば、妥協しないことです。
仕事で成果を上げたいのであれば、”これくらいやっておけば大丈夫だろう”などと妥協しないで、できることは全てすることです。
素敵な人と結婚したいのであれば、”私には、これくらいの人がお似合いだ”などと妥協しないで、素敵な人に相応しい人間になるために自分を磨くことです。
妥協すれば、妥協せざるをえない結果しか手にすることができないのですから、妥協しなければ、妥協しなくてもいい結果を手にすることだってできます。
もちろん、絶対ではありません。
妥協しなかったからといって、最も望むものが手に入る保障はどこにもありません。
妥協しても、運が良ければ最も望むものが手に入ることだってあるかもしれません。
それを踏まえたうえで、妥協するかしないかを選択するのは自分自身です。