人生の主役は自分などと言われることがあります。
確かにそうなのでしょうが、釈然としないという感覚を持つ人もいるのではないでしょうか。
自分の人生は本編ではないかもしれない
自分ではない誰かの人生が本編で、自分の人生はその本編のスピンオフやスピンアウトといった派生作品に過ぎないのかもしれません。
確かに自分が主人公ではあるのでしょうが、本編から見れば、自分はサブキャラ、下手すればモブキャラなのかもしれません。
本編の主人公に、搾取され、利用され、踏み台にされたサブキャラで、そのサブキャラの人生を描いた派生作品の主人公。
主人公とはいえ、所詮は派生作品です。
派生作品が本編に劣るというわけではありませんが、本編あっての派生作品です。
そんな人生の主人公を仰せ付かって、嬉しいのか悲しいのか。
本編の主人公に憧れるのか、派生作品の主人公でも満足なのか。
自分の人生は駄作かもしれない
自分の人生は本編で、自分がその主人公であったとしても、その本編が駄作かもしれません。
駄作の主人公です。
本編が駄作で叩かれれば、その主人公も同時に叩かれることが多いのではないでしょうか。
本編が駄作で酷評されるのに、主人公だけ絶賛されるなんてことはほぼないでしょう。
良作、超大作の主人公と、駄作の主人公。
同じ主人公でも、随分と差があるように感じてしまいます。
それを、人生の主人公は自分と言われても、何ともモチベーションが上がらないというか、釈然としない感じがしないでしょうか。
人生に脚本はない
人生に脚本はありません。
人生という作品は、これから主人公がどう動くかで、変化することでしょう。
しかし、これまでのストーリーは既に出来上がっていて、変えることはできません。
これまでがクソのような駄作であるものが、これからの主人公の頑張りでどう変わるのかはわかりません。
頑張れば良作になるかもしれませんが、これまでが駄作のものを良作にするには簡単ではないでしょう。
先が見えているといえば見えています。
所詮、駄作は駄作です。
どんなに頑張っても、駄作に毛が生えた程度のものにしかならないのが関の山です。
良作になる可能性は低いでしょう。
ただし、脚本はありませんので、駄作をもっと駄作にするのも、良作を目指すのも主人公しだいです。
どうということはないのですが、ふとそんなことを思ったという戯言でした。