くすぶり人の戯言

ごくまれにある良いことのために生きている

ごくまれにある良いことのために生きている

”何か良いことないかな”とついつい思ってしまうことがあります。

いつも良いことがあれば、人生最高と言えるのかもしれませんが、なかなかそうはいきません。

 

良いことは、いつも起こっているのかもしれない

何をもって良いこととするかは、各個人の価値観に委ねられると思います。

例えば、”満員電車で座ることができた”なんてことも、良いことといえば良いことなのですが、それを良いことと感じられるかどうかは、人それぞれです。

多くの人が何も感じないか、”ラッキー”ぐらいに感じる程度で、”何か良いことないかな”の良いことではないと思うことでしょう。

たぶん、”満員電車で座れた”等のような、些細なことまで含めれば、良いことはいつも起こっているのだと思います。

自分自身が、それを良いこととは感じられていないだけなのではないでしょうか。

結局、我々が求める”何か良いことないかな”の良いことは、それぞれの価値観でみた、特別良いことのことなのだと思います。

 

我々は、ごくまれにある良いことのために生きている

我々が言う良いことは、特別良いことのことなのです。

特別なのですから、そんな良いことは、ごくまれにしかありません。

特別良いことがしょっちゅうあれば、それは特別ではなくなり、良いことではなく、普通の当たり前のことになってしまいます。

そう考えると、良いことなんてそんなになくて当たり前と言えるのかもしれません。

我々は、いつもちょっとした良いことに囲まれながら、それを良いこととは感じられず、”何か良いことないかな”と、ごくまれにある特別良いことを求めて、そのために生きているのかもしれません。

愚かと言えば愚かかもしれませんが、人間なんてそんなものです。

特別良いことを求めながらも、日常に溢れているかもしれない、ちょっとした些細な良いことを、良いことと感じられれば、多少は幸福な人生と思えるようになるかもしれませんね。

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