よく「お金がない」と言う人がいる。
私は、「お金がない」という人があまり好ましく思っていない。
お金がないなら身の丈に合わない無理をするなと言いたくなってしまう。
お金がないという人
「お金がない」という人は、本当にお金がないのだろうか?
明日、食うにも困るほどお金がないという人も中にはいるだろう。
そういう人たちは、親族や友人・知人を頼るなり、社会福祉制度等に頼るなりするしかないのだろう。
しかし、お金持ちではなくても、何とか生活できる程度にはお金を持っている人で、「お金がない」という人がいる。
この人たちが言う「お金がない」のほとんどは、自分の欲望を叶えるためのお金がないである。自分の欲望を叶えるためのお金なのだから、黙って自分でお金を貯めるなり、収入を増やす術を考えればいいだけのことだ。
それを、「お金がない」と言って、自分の欲望をさらけだしているのだから、見ていてあまり気持ちの良いものではない。
例えば、高級腕時計や高級な貴金属を身に付けている人を見て、「私はお金がないからそんなの買えないわ」なんて会話をすることもあるだろう。
一見、謙虚で慎ましい発言と思えなくもないが、この発言は、”私も高級な腕時計や貴金属が欲しい”という欲望と、妬みや嫉みが加わった発言だといえる。
このように「お金がない」という発言は、卑しい発言なのだ。
本来、人前でするような発言ではないだろう。
欲望を持つことが悪いとは全く思っていない。
それを卑しくも人前でさらけだすのは、個人的にはあまり感心しないというだけのことだ。
お金がなければ、身の丈に合ったお金の使い方をしてほしい
私は以前、対人支援に関するサービスを提供する仕事をしていたことがある。
子供の教育に関わるものもあり、年間数百万円の費用が必要なのだが、あからさまではないにしろ、値切ってくる人が結構多かった。時には何かと言いがかりをつけて、費用を値切ろうとする人もいた。また、母子家庭で金銭的に苦しいということを、遠回しにアピールしてくる人もいた。(もちろん、費用を聞いてすっぱりと諦める潔い方もいた)
子供の教育にも関わるとなれば、できるだけ良いサービスを受けさせたいというのが親心というものだろう。気持ちはわからなくもない。
ただ、いかなる状況であろうと、一定のサービスを提供する以上は、値切り交渉には応じる必要はないと思っている。それで、「お金がない」と言われても、知ったことではない。
良いサービスを受けさせたいというのは、その人の勝手な欲望にすぎないのだから、こちらが値段を下げることで叶えてあげる必要はない。
サービスを提供する仕事であっても、対人支援や福祉関係、いわゆるソーシャルビジネスと言われるようなものに分類される、又はそれに近接する類のサービスだと、社会的弱者だから支援してもらって当たり前、値段を下げてもらって当たり前といったスタンスの人も少なくない。私もそういった人を目の当たりにしたこともある。
良いサービスなりなんなりを受けたいという、個人的願望を叶えるために、自分は弱者なのだから、値下げしろとやってくるわけだから、目も当てられない。
まあ、生き方、やり方は人それぞれなので、別にかまわないのだが、自分の願望が叶えられない怒りを、こちらにぶつけられても困るという思いもある。
私が携わっていた仕事は、その対人支援を行う上では最もお金がかかる部類のものであったが、他の選択肢が全くないというものでもない。大抵の場合、他の選択肢は存在している。「お金がない」のであれば、お金がかからない他の選択肢を選べば良いだけのことだ。
お金がなくて欲しい物が買えない、受けたいサービスが受けれないというのは、その物なりサービスが身の丈に合っていないというだけのことだ。
みんな与えられた環境の中で、自分が手にしたもので何とかやっているのだ。
周りを羨んでも無意味だし、誰かが与えてくれるわけでもないのだから、身の丈に合う物を買い、身の丈に合うサービスを受けてほしいものだと思う。
お金がないなら無理するな
よく、良い(高級な)財布をもてば、それに見合った収入を得られるとか、良い物を持てばそれに見合った人間になれるという話を見聞きすることがある。
これの真偽は、私にはわからないが、お金がないなら、自分の欲望をコントロールして、身の丈に合わないものに、無理をして手を出す必要はないと思う。
身の丈に合うものを選ぶ慎ましさを持った人にこそ、手を差し伸べたくなるというのが人情ではないだろうか。