くすぶり人の戯言

ここが踏ん張りどころかもしれない

ここが踏ん張りどころかもしれない

生きていれば、辛いこと、嫌なことを日常的に体験します。

そんな毎日の積み重ねで、”もう嫌だ””逃げ出したい””投げ出したい”と思っている人もいるかもしれません。

 

年を重ねるにつれ、踏ん張りがきかなくなる

一般的には、大人になるにつれ強くなり、踏ん張れるようになるというイメージを持つ人が多いのかもしれません。

しかし、実際には大人になり、年を重ねるにつれ、踏ん張りがきかなくなってくるのではないでしょうか。

子どもの頃は、ある意味、意思決定の自由はなく、教育の名のもとに親や学校に踏ん張ることを強制されてきました。

そのため、子どもの頃は踏ん張ることしかできなかったと言えるかもしれません。

大人になり年を重ねるにつれ、完全にではないにしても、意思決定は自分自身に委ねられることになります。

そうすることで、踏ん張ることも踏ん張らないことも、自分である程度選択できるようになり、踏ん張らないという選択が可能となるのです。

それでも、踏ん張るという選択をし続けている人もいることと思いますが、気づけば踏ん張らないという選択をしている人も多いのではないかと思います。

人生がつまらないとか、今の自分に不満を感じている人はこの傾向が強いのかもしれません。

人は誰だって、可能であれば楽をしたいものだと思います。

そして、子どもの頃は踏ん張ることを強制されたのですから、その反動といってはなんですが、一度踏ん張らない選択をすると、どんどん踏ん張ることができなくなっていくのです。

人は知らず知らずのうちに踏ん張りが聞かなくなって、”もういいや””どうでもいいや””適当でいいや”とあらゆることから逃げ出し、投げ出しているのかもしれません。

 

ここが踏ん張りどころ

そんな風に、どんどん踏ん張りがきかなくなってきた結果あるのが、今の自分です。

よく、頑張らなくてもいいとか、逃げ出してもいいという論調を見かけることがあります。

もちろん、そんなことがあっても良いと思いますし、そのほうが楽に生きられるのであればそうすればいいのだとも思います。

しかし、自分で気づいていないだけで、踏ん張りがきかなくなって、頑張らず、逃げ出して生きてきた結果、苦しい人生になっているのかもしれません。

ここで踏ん張らなければ、今までの人生の繰り返しです。

自分を追い詰めるほど無理をする必要はないと思いますし、頑張らないことも、逃げ出すこともあっても良いのですが、時には”ここが踏ん張りどころ”と思って、踏ん張ってみることも必要なのかもしれません。

人生に行き詰まりを感じている人は、自分の人生のため、苦しいことも含めて試行錯誤をしてみるしかないのです。

モバイルバージョンを終了