くすぶり人の戯言

欲しいものは、少し強引でも手に入れるほうがいいかもしれない。

欲しいものは、少し強引でも手に入れるほうがいいかもしれない。

欲しいものを我慢する、欲しいものを諦めるということはよくあることかと思います。

しかし、欲しいものは少し強引にでも手に入れるほうが良いようにも思います。

 

欲しいものが手に入ることは少ない

欲しいものが手に入ることは、それほど多くないと思います。

物品ならお金を出せば手に入りますが、高価なものになると簡単には手に入りません。

地位や名誉が欲しいといっても、それは自分の努力だけで手に入るものではありません。

好きな人を欲しいと思っても、相手の気持ちがあることですので、自分の力だけではどうにもならないこともあります。

世の中は物にあふれ、安価で大抵のものは購入して手に入れることができるので、欲しいものは大抵手に入ると錯覚しがちですが、本当に欲しいと思うものを手に入れることは容易ではありません。

抽象的になりますが、大事なものや、自分にとって価値があるもの、大きなものほど手に入ることは少ないと言えます。

 

欲しいものは簡単には手に入らないからこそ、時には強引に手に入れるほうが良いかもしれない

本当に欲しいものほど手に入れることができないことが多いので、本当に欲しいものは、貪欲に追い求め、少し強引にでも手に入れるよう努めるほうが良いかもしれません。

本当に欲しいものを我慢し、諦めて、簡単に手に入るものをたくさん手に入れても、一時の満足感しか得られず、簡単に手に入れたものはすぐにゴミと化すでしょう。

そんなものに対価を支払って、その場しのぎの満足感を得るぐらいなら、本当に欲しいものを手に入れるために全ての対価を支払って、手に入れるほう良いのではないでしょうか。

そうやって手に入れたものは、一生ものになるのではないかと思います。

もちろん、全ての対価を支払っても、手に入らないことだってあり得ます。

それなら、その場しのぎでの、簡単に手に入るもので、一時の小さな幸福、満足感を得たいという人もいることでしょう。

それも、決して悪い事ではありません。

しかし、全ての対価を支払わない限り、本当に欲しいものが手に入る可能性は0です。

全ての対価を支払い、手に入らないかもしれないリスクを背負ってでも強引に手に入れようとするのも一つの生き方です。

そういったリスクを回避し、自分の身の程をわきまえて、一時の満足感を得ることを繰り返すのも一つの生き方です。

どちらが正しくて、どちらが間違っているということはありません。

どちらも、その人の生き方というだけのことです。

否定される謂れはありません。

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