今日はこどもの日です。
こどもの人とは、国民の祝日に関する法律によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ということが趣旨のようです。
子どもの幸福を願っても考えられない
子どもの幸福を願っている人は多いのかもしれません。
もしかしたら、子どもの有無に関わらず、今の自分の人生が不幸だと感じている人ほど、子ども達には将来幸せになってほしいと願っているかもしれません。
子を持つ親であれば、自分の子どもの幸福を願っていることでしょう。
”子どもの将来の幸福のためになんたらかんたら”と言ったことを主張する人々だっています。
しかし、子どもの幸福を具体的に考えている人がいるでしょうか。
もちろん、その子どもの親であれば、具体的に考えているのかもしれません。
”子どもの将来の幸福のためになんたらかんたら”と言ったことを主張する人々も、具体的に子どもの幸福を考えた上での主張なのでしょう。
でもそれは、親なり、主張する人々なりが考えた、子どもの幸福です。
それが、子どもの幸福とは限りません。
我々だって、子どもの頃は、親なり、主張をする人々なりから、幸福を考えられてきたのです。
それでも、我々の中に、自分は幸福だと言える人はそれほど多くはないのではないかと思います。
子どもの頃に幸福を考えられてきたにも関わらず、幸福とは言えない人が多いのです。
そもそも、幸福の定義というものがありません。
幸福とは、主観で人それぞれが感じるものですので、共通の定義を設けるのは困難ですし、幸福の定義は人によって異なって当たり前なのです。
そんな、人それぞれな幸福を、親であろうが有識者であろうが、考えることなんてできないのです。
いや、考えることはできますが、考えてもそれで、必ず子どもが幸福になるということではないのです。
子どもの幸福は、いずれ子どもが決める
子どもの幸福は、いずれ子どもが決めます。
それが、無謀だろうが、叶いそうにもなかろうが、それが子どもが決めた、子どもが望む幸福なのですから、親なり何なりがどうこう言ったって、どうにもなりません。
大人がすべきことは、子どもの幸福を否定しないことではないでしょうか。
大人が子どもの幸福を否定してしまっては、子どもは幸福を決めることすらできません。
幸福のない人生を送ることになってしまいます。
大人にできるのは、子どもが自ら幸福を決めて、幸福を求め行動し、それぞれの幸福を手にする未来を願うことだけなのかもしれません。