人は余裕があるうちは勝負しない
人は余裕があるうちは、保守的になって勝負をしません。
例えば、今の仕事に不満があったとしても、それなりの生活ができる余裕があるうちは、転職したり、起業したりということはしないと思います。
それよりも、今のそれなりの生活を守るために、今の不満な仕事にしがみつく人がほとんどでしょう。
しかし、今の仕事が不満で、それなりの生活ができる余裕すらないとなったらどうでしょうか?
転職なり、起業といったように勝負にでる人も出てくることと思います(もちろん、それでも今の仕事にしがみつく人もいるとは思います)。
結局、人は、余裕があるうちは、リスクを恐れて、変化を望まず、保守的になってしまうのです。
言い換えれば、人は追い込まれて、リスクを超える程度に余裕がなくならないと、変わらないし、変わるための勝負をしないということです。
余裕がなくなったら、その人らしさがでる
さて、余裕がないと、自分らしさが失われるなんてことを言う人がいます。
個人的にはこれには少し違和感を持ちます。
人は、余裕があるからこそ、多くのことに気を回すことができます。
だからこそ、余裕があれば、他者に見せる自分を演じることができるのです。
例えば、職場で、普段は温厚なのに、仕事が忙しく余裕がなくなってくると、怖くなる人っていないでしょうか。
これは、余裕があるうちは、多くのことに気を回すことができるので、温厚な自分を演じることができるのですが、余裕がなくなってくると、気を回せるところが減少して、温厚な自分を演じることができなくなっているのです。
これが、ある意味、素のその人と言えるのではないかと思います。
こんな風に、余裕があるから自分らしく振舞えるのではなく、余裕がないからこそ、自分らしさが滲み出るのです。
余裕がないから自分らしくないのではない。 余裕があるから自分らしくないのだ。
最近では、自分らしさを求める人がいるようですが、上でも述べたように、自分らしさを求める人は余裕がある人なのだと思います。
余裕があるからこそ、自分らしさという言葉を借りた、人から良く見られるための自分をどう演じるかということが気になるのではないでしょうか。
本当に自分らしさを求めるのなら、是非、心の余裕がなくなるほどに、何らかの形で自分を追い込んでみてください。
そうすれば、本来持っている自分らしさに気が付けるのかも知れません。
そうして、自分を追い込んで自分らしさに気づけたら、このままではダメだと感じるかもしれません。
そうしたら、既に追い込まれているのですから、自分を変えるための勝負にうってでることもできるかもしれません。